2018年06月21日

昭和乙ニュース(348)富士お山開きの準備 昭和21年

348_21-06-09_朝日_富士お山開きの準備.jpg

 平成30年と同様、昭和21年も富士登山吉田ルートの「お山開き」は7月1日。終戦から1年未満だったのに、登山者を見込んでいるのがすごい。

「吉田口」の「富士登山保安協會」が決めた料金は「宿料 素泊り十円」、「食糧持参炊事附十九円」。

 泊まるだけなら10円ですむが、持参した食糧を炊事すると19円と倍近くになる。煮炊き用の燃料費がプラスされているとしても高すぎる。食糧持参しているのに。

 ちなみに今どきは、素泊まり5000〜6500円。

「食糧事情」が悪いので「強力や乗馬の案内、登山バス」は中止らしいが、「登山者は暴風雨などに備へて食糧を澤山携帯するやうに」というアドバイスが愉快。今どきなら「暴風雨などに備へて防寒対策をしっかりと」になると思われる

画像:朝日新聞/昭和21年6月9日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2018年06月19日

昭和乙ニュース(347)キレタ電球ヲ直ス機械 昭和22年

347_22-05-23_朝日_キレタ電球ヲ直ス機械.jpg

 戦後の混乱期、電球の生産量は回復傾向にあり、政府は各家庭にガス入電球2個を年内に配給する計画を立て、電球の切符制を導入した。

 ところが配給は滞るばかり。しかも、激しいインフレのため公定価格が急騰。60W球1個9円83銭だったものが、またたく間に22円65銭になった。

 闇市に行けば入手できたものの、ほとんどが粗悪品にもかかわらず高値だった。

 そんなところに「キレタ電球ヲ直ス機械」が登場。その名は「スーパースポット」。販売は「關東商事」で「東京高波」という会社の製品。

 廃電球を再生するから「電球更生」。他社の機械では「ヒラメント溶接不能」という欠点があるが、「スーパースポット」なら問題なし。「本邦最優秀品」で「最高級品」というわけ。ただし、お代は「金三千九百圓也」。

 高いか安いか・・・当時封切られた『素晴らしい日曜日』(監督:黒澤明)は、敗戦後の東京を舞台に恋人たちの日常を描いた作品。当時の物価を知るにはとても参考になる。それによると、

 二人の若者の給料=合わせて1200円
 コーヒー=5円
 音楽会入場料=A席25円、B席10円
 6畳のアパート=家賃600円
 文化住宅(15坪)=10万円

 おそらく、「金三千九百圓也」を今どきの価値に直せば40〜50万円といったところか。ちょっと高いな。

 新聞広告から3年後、昭和25年に朝鮮動乱が勃発。特需景気によって日本の製造業は軒並み業績好転。電球製造も順調となり、供給量も価格も安定した。

「スーパースポット」を買った企業は不明だが、廃電球を再生することなく、新品と交換してしまう時代がすぐにやってくるとは思いもよらなかっただろう。

画像:朝日新聞/昭和22年5月23日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2018年06月17日

昭和乙ニュース(346)元学生ら群馬県議会に乱入 昭和43年

346_43-10-03_朝日夕_元学生ら群馬県議会に乱入.jpg

 定例議会開会中の「県議会議事堂」(群馬県庁)に「白いヘルメットをかぶった十人」が乱入した。「前橋署員」は「建造物侵入の疑い」で「女子一人を含む元高崎経大生」を逮捕。

 彼らは、前月、群馬県吾妻郡長野原町で開かれた「ダム反対支援総決起大会」に参加した面々。会場では「代々木系と反代々木系両派全学連が小ぜり合い」を起こしていた。

 前年(昭和42年)、建設省は吾妻川中流部、長野原町川原湯地先に「八ッ場(やんば)ダム」を建設することを発表したのだが、水没地域となる長野原町でダム建設反対運動が起こったのだ。※「長野原町の中心街を含む約百九十六ヘクタールが水没」

 当初の目的は「水害から首都・東京及び利根川流域を守るため」、次に「首都圏の水需要増大に対応するため」、最近では「流水の正常な機能維持」と「発電」が加わり、平成32年に完成予定となった。

画像:朝日新聞/昭和43年10月3日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2018年06月15日

昭和乙ニュース(345)東洋一の水族館 昭和25年

345_25-09-22_朝日_東洋一の水族館.jpg

 東京上野動物園の開園(明治15年)から半年遅れで開館したのが「観魚室(うをのぞきしつ)」。トンネル風の施設で建坪17.5坪、小ぶりだったから「館」ではなく「室」。日本初の水族館だ。

 昭和4年に「水族室」が開館。こちらも「館」ではなく「室」だが、かなり立派な建物だった。

 そして昭和25年。記事にあるように、「境界を不忍池にまで拡張」する計画にともない、「東洋一を誇る水族館を建設」することになった。

 設計は「丹下健三東大助教授」。完成した「百分の一模型」は、上野美術館で開催の「新制作派協会展」に出品。「藝術水族館」という名前だったらしい。※写真は模型を指さす丹下東大助教授と古賀園長。

 特徴的な「波状の屋根」を持つ「建坪約五百坪の鉄筋コンクリート平家建」。「水ソウの暖冷房装置」など「最新科学の粋」を採用した近未来志向の最新水族館だ。総工費は「千五百万円」。10月中に着工し、翌26年3月落成の予定。

 ・・・と、記事は「予定」で終わっているが、建設工事は順調ではなく、予定は「未定」となり、関係者一同、頭をかかえる事態に。

 ところが落成予定の直前(昭和26年1月17日)、園に隣接する施設から出火して施設の一部を焼失する事態が発生。「焼け残り部分を水族館にしたら予定に間に合う」というわけで、焼け残り部分を買収、動物園の工事課が設計をやり直して完成にこぎつけたのが「海水水族館」。「東洋一の水族館“藝術水族館”」は幻で終わってしまったのだ。

 以降は、昭和39年に「新水族館」が開館。平成1年に「葛西臨界水族園」へ移行となったとさ。

画像:朝日新聞/昭和25年9月22日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2018年06月13日

昭和乙ニュース(344)“黄色いおばさん”なぐられる 昭和36年

344_36-06-02_朝日_黄色いおばさん.jpg

 正式名称は「学童擁護員(学童交通擁護員)」。東京都は「緑のおばさん」、横浜・高知・広島では「黄色いおばさん」、制服の色で愛称が異なった。小学校の通学路などに立ち、児童の交通安全を見守るのが主な仕事。

 昭和34年、母子世帯の失業対策事業として東京都労働局が雇用(臨時職員)開始。神奈川県では昭和36年「五月中旬から発足」。

 その半月後、事件発生。京急本線黄金町駅近くの「前里町一丁目の市電交差点」で、黄色いおばさん(三一)が「止まれ」の黄色い旗をかざしたとたん「ダンプカーが突き当たった」。

 怒ったダンプの運ちゃん「おれの車をたたくな」と怒鳴ったのだが、負けじと黄色いおばさん「アンタがぶつかってきたんでしょ」程度のことを言ったと思われる。

 さあ大変。運ちゃんマジ切れ。「よけいなお世話だ」といいつつ「運転台からおり」、黄色いおばさんの「顔を平手で二回なぐり、そのまま逃げた」。

 結局、「パ トカーが追跡」して運ちゃん逮捕。罪状は暴行と交法違反の疑いだった。

画像:朝日新聞/昭和36年6月2日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース