2018年04月25日

昭和乙ニュース(323)未来生活 昭和30年

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「“頭脳明晰”な機械」が主役になり「人類は次第に退化」するのではないか・・・と近未来を予測するコラム。

 たとえば「高級デンプン合成工場」。「月産三万トン、約二百万人分の食糧をつくる」巨大な工場なのだが、全従業員は10名。ベルを押すと自動的に門が開閉。すぐに「中央コントロール室」にたどり着く。

 広さは「十坪ほど」。「むかしの五球スーパー受信機ほどの大きさの電子計算機」があるのみ。監視員は2名。「NO・11」の赤ランプがつきブザーが鳴ると、修理技術者が「十一号室」に駆け付ける。5分ほどで修理完了だ。

 いずれも、戦後、発達した「計算機械と自動制御機械」のおかげ。「自動化」とは、「人間の頭脳の代わりに機械を使う」こと。便利至極で人間の生活は楽になったと思われるのだが、思わぬところで問題が発生した。

「工場の無人化傾向」は「雇用のアンバランスと労働不安」を引き起こすことになったし、「計算機械の普及」は、簡単な計算すら機械まかせになり、字も下手になった。

 というわけで「機械の前に力なく頭をたれた人類」は、「機械文明と精神文明に対する自己批判を真剣に始める」ことになる・・・・と、記者は警鐘を鳴らすのだが、63年後の今どき、真剣に自己批判している人などいないと思われる。

画像:朝日新聞/昭和30年1月15日

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2018年04月23日

昭和乙ニュース(322)この雪冷くないわ 昭和25年

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 銀座のお店に設けられたクリスマス・ツリーに雪が降り積もった。仕事帰りの二人組BGが「おゝ・・・つめたそう!」と駆け寄ったものの、「この雪冷くないわ」。

「サラサラと白銀色に輝く結晶は、見た目は本物そっくり」なのだが、実は「アメリカから来た溶けない人造雪」。「もっさり綿をのせるのはもう古くさい」というわけ。「Kストア」の話では「原料はナイロン」らしい。

 でも、今どきから遡って考えれば、「アメリカ」も「ナイロン」も間違いだと思われる。この年(昭和25年)、ドイツ(バーディッシュ社)で石油からつくられたポリスチレン(PS)を材料にした「発泡スチロール」が開発されているからだ。発泡スチロールを細かく砕けば人造雪になる。

 ただし、2年後の昭和27年に撮影された映画『生きる』では、撮影現場で「細かに割いた焼きフ」が雪として使われたそうだから、日本のほうが自然に優しい。


画像:朝日新聞/昭和25年12月12日

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2018年04月21日

昭和乙ニュース(321)兄弟妹九人が心中 昭和24年

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 昭和24年9月25日午前11時ごろ、「大阪府豊能郡箕面町付近の松林内」で「兄弟妹九人」が死んでいるのをハイカーが発見した。

 いずれも服毒死で、内訳は「岩田平一(二六)、幸子(二四)、倭智子(二二)、晏代(二〇)、陽男(一九)、健司(一七)、朋子(一六)、慶輔(一四)、多嘉子(九才)」。

「箕面署」によれば、「十八日夕<箕面方面で死ぬ>と遺書して家出」したことが判明しており、「服毒心中」とみている。兄弟妹の身の上は「母がなく父は行方不明」。子供だけの世帯というわけだが、いつからそうだったのかは不明。

 一家を経済的に支えていたのは「平一、倭智子、陽男」の3人。いずれも「旭染色会社」で働いていたのだが、男子両名は「解雇」され、女子は「病氣欠勤」で収入が途絶えたため「生活苦」に直面。兄弟が出した結論が「服毒心中」だったのだ。

 今どきなら、福祉事務所が兄弟の生活ぶりを把握し、児童養護施設などへの入所が検討されるのだが、福祉事務所が整備されたのは昭和25年、社会福祉事業法が施行されたのは同26年だったから、あとちょっとだけ生き抜いていれば全員救われたかもしれない。残念無念。

画像:朝日新聞/昭和24年9月26日


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2018年04月19日

昭和乙ニュース(320)E.H.エリックがノイローゼ!? 昭和41年

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 ビートルズ来日(昭和41年6月29日)の日に発売された『週刊平凡』(7月7日号)の新聞広告。

「公演の司会者に決まった・・・E.H.エリックがノイローゼ!?」とあり、「困った、コマッタ・・・」の連発だったらしい。

 ところが公演が始まってしまうと、「もっとも短い司会だった」とエリック自身が語ったように、味も素っ気もない司会ぶりだったから笑ってしまう。

 ちなみに武道館では、アリーナ席に客は入れず、さらに客席で立ち上がることも禁止されていたから、司会同様、味も素っ気もなかった。



▲The Beatlles 日本武道館公演(昭和41年7月1日)。PA(音響システム)が確立されていなかった時代だから、モニターもなく、歌声は場内スピーカーから流れたそうだ。

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2018年04月17日

昭和乙ニュース(319)“雪”にうだる 昭和27年

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 昭和27年8月20日東京、午後3時の気温は「三四・五度」。「今夏の最高気温」だったらしい。

「またぞろ暑さがぶり返し」たのは「熱低キャレン(台風9号KAREN)」通過の影響。つまり「置き土産」というわけだが、最低気圧が955(hPa)だったから、暴風雨のあとに強烈な日照りがやってきたという感じだったのだろう。

 そんな中、「都内でたった一カ所」だけ「“雪”が降った」ところがある。「世田谷区成城町」だ。

 もちろん本物の雪ではなく、地上に降り積もった雪は「オガクズに石灰をまき、雲母で光らせ」たもの。空から降ってくる雪は「細かに割いた焼きフ」・・・「東宝撮影所で製作中の一場面」である。

 セットの中は「四十度を越す暑さ」なのだが、主演男優は「オーバーにマフラー姿」。そんな「死ぬる」思いで挑んだ映画が黒澤明監督の『生きる』。もちろん主演は志村喬。

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▲東宝二十周年記念映画『生きる』(藝術祭参加作品)の完成を記念した「有料試寫會 一五〇円」「30日 夜七時 日比谷映画」の広告。昭和27年9月24日付朝日新聞に掲載。

画像:朝日新聞/昭和27年8月21日

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