「“頭脳明晰”な機械」が主役になり「人類は次第に退化」するのではないか・・・と近未来を予測するコラム。
たとえば「高級デンプン合成工場」。「月産三万トン、約二百万人分の食糧をつくる」巨大な工場なのだが、全従業員は10名。ベルを押すと自動的に門が開閉。すぐに「中央コントロール室」にたどり着く。
広さは「十坪ほど」。「むかしの五球スーパー受信機ほどの大きさの電子計算機」があるのみ。監視員は2名。「NO・11」の赤ランプがつきブザーが鳴ると、修理技術者が「十一号室」に駆け付ける。5分ほどで修理完了だ。
いずれも、戦後、発達した「計算機械と自動制御機械」のおかげ。「自動化」とは、「人間の頭脳の代わりに機械を使う」こと。便利至極で人間の生活は楽になったと思われるのだが、思わぬところで問題が発生した。
「工場の無人化傾向」は「雇用のアンバランスと労働不安」を引き起こすことになったし、「計算機械の普及」は、簡単な計算すら機械まかせになり、字も下手になった。
というわけで「機械の前に力なく頭をたれた人類」は、「機械文明と精神文明に対する自己批判を真剣に始める」ことになる・・・・と、記者は警鐘を鳴らすのだが、63年後の今どき、真剣に自己批判している人などいないと思われる。
画像:朝日新聞/昭和30年1月15日