2013年02月01日

昭和の生活(25) 100円銀貨発行計画(昭和30年)

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 今はなき100円札だが、平均1年ですり切れてしまうので、年々新たに5億枚は刷らないと間に合わなかったらしい。

 で、その製作費が年間22億円。額面500億円に対して22億円だから、100円札1枚当たり4.4円の計算になる。でも、半永久的に使用可能な硬貨なら、当初は高くついたとしても、長〜い目で見れば紙幣より安価・・・というわけで、100円銀貨を造ろうということになった。

 問題は、硬貨の材料となる銀地金だが、占領軍に接収された銀の完全解除を見越し、それに政府の手持ち銀を合わせて約2000トンにのぼるから、それらを使って昔の50銭銀貨よりやや安手の「ギザつき百円銀貨」が候補にあがった。

 ところが問題発生。100円札には三椏(みつまた)繊維が2割ほど混っていて、三椏栽培農家が愛媛県を筆頭に全国で3万戸あり、いずれも「死活問題だ」と国会へ大陳情。さらに、お札を刷っている大蔵省の印刷局も大反対。銀貨だと造幣局に仕事をとられ、印刷局の従業員が首切りにあうというのが理由。

 すったもんだのあげく、結局、2年後の昭和32年、図柄が鳳凰の銀貨(品位銀60%、銅30%、亜鉛10%)が発行された。ちなみに現在の100円玉は100円白銅貨(品位銅75%、ニッケル25%)。平成25年1月末日の銀相場は1グラム=約99円だから、鳳凰の100円銀貨は(4.8グラム×0.6)×99円となり額面金額を大幅に超える285円となる。

引用データ:「最新設計の世界最高級精密カメラ ニコンS2」/日本光学株式会社/『週刊朝日』昭和30年2月27日発行

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2013年02月02日

昭和の生活(26) 自動車普及率0.1パーセント(昭和29年)

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「イバラの道を行く 日本製自動車」というタイトルで、日本の自動車について嘆いている記事がある。それによると、日本の自動車の分布台数は人口1000人に対して約1台の割合。つまり0.1パーセントにしかならず、ガッカリというわけ。

 それにくらべ、アメリカの3人半に対する1台(28.6パーセント)、イギリスの20人(5パーセント)、フランスの22人に対する1台(4.55パーセント)であり、さらに日本と同様の敗戦国である西ドイツが56人に1台(12.5パーセント)、イタリアが93人に1台(1.08パーセント)である・・・と、これでもかというほど数字を挙げて嘆くことしきり。

 今となりゃ、「あまり焦るなよ記者さん」と声をかけたくなってしまうのである。

 ニッサンの初代パトロールの広告に「富士山の六合目を征服!」とある。85馬力が誇らしかったのだ。

 ジープに似たスタイルを持つパトロールだが、試作品が完成したのは昭和26年。すぐに警察予備隊の要請による小型トラックの競争入札に加わったものの、三菱ジープ(ウィリスジープのライセンス生産車)に敗れたため、民間用に方向転換を余儀なくされた。

 現在は6代目となり健在。

引用データ:「富士の六合目を征服!ニッサン」/日産自動車株式会社/『週刊朝日』昭和29年5月16日発行

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2013年02月03日

昭和の生活(27) ヅカボーイズ(昭和27年)

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 宝塚(宝塚歌劇団)といえば女だけの歌劇団。でも戦後の一時期、ヅカガールではなくヅカボーイズ「宝塚歌劇団男子研究生」がいたというから愉快。

『週刊朝日』(昭和27年7月20日号)の記事によると『"小林サン”は「女がやる男役には限界がアル」とて、二十一年春この制度を創設、「ゆくゆくは男女混成による新形式の歌劇を確立」しようとの天晴れなる意欲をみせた』。というわけで、第1回の8名を皮切りに26年春まで3回、約30名を募集したのだが、生き残ったのはわずか8名。同年暮の段階で、養成中の新入12名を加えて20名という寂しい状況。

 実際の活動はどうかというと『まだ歌劇の舞台をふんだことはない』。それでは何のための研究生? と問えば、高井経営部次長は『イヤ、将来を見こしてのことですよ。いまの"少女歌劇"なるものが果していつまで命脈のあるものか。やがてはアキられる時期が来るかも知れない。その時になってからあわててもアカン』だと。

 要するに『捨駒』ということだが、志願者は毎回12〜30名もあり、高校卒業を最低に大学卒まで種々雑多だったそうだ。もちろん給料の高さも魅力で『初任給5000円、一本立ちの最高1万円也、そのほか出演料1日150円ナリで”女生徒なみの待遇”』。

 で、最終的にどうなったのかというと、週刊誌の記事が出た翌々年の29年、あえなくヅカボーイズは解散。女子研究生やファンたちの反対にあい、ついに本公演には出演することはなかったそうだ。

参考画像:カストリ誌『淑女』昭和23年4月号

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2013年02月04日

昭和の生活(28) 国産自動車の製造(昭和30年代)

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 朝鮮戦争(昭和25−28年)の後、日本は本格的な自動車製造の道を歩みはじめた。ただし、欧米とくらべると技術的な遅れは致命的。それを補うには外国メーカーと提携するしかなかった。

 たとえば日産→オースチン、いすゞ→ヒルマン(いずれもイギリス)、三菱→ウイリスとカイザーフレイザー(アメリカ)、日野→ルノー(フランス)・・・といった提携ぶり。

 ちなみに昭和29年の自動車生産台数は1万4472台、そのうち輸出されたのが1台。乗用車保有台数13万9311台だったころだ。同30年に発発売された日産の小型乗用車ダットサン110型(860cc)は80万円もしていた。

 これじゃイカンとばかり、翌年、「国民車構想」を打ち出したのが通産省。それによると「4人乗り、最高時速100km以上、価格25万円以下」。いち早く応えたのがスズキ。同32年、「スズライト」(42万円)を発売。1年遅れて富士重工が「スバル360」(42万円)を発売した。

 平成20年、インドの大手自動車メーカー「タタ・モーターズ」が発売した「タタ・ナノ (TATA nano)」が「4人乗り、最高時速105km、価格10万ルピー(約28万円)」だから、ちょっとばかり愉快。

 広告にあるヒルマンは、工場渡し価格で99万円也。当時、人気があったのは国産車ではなく外車。ラジオ・ヒーターなしだった。

引用データ:「ヒルマン 新型発表☆☆世界最高級の中型車」/やまと自動車株式会社/『週刊朝日』昭和29年8月22日発行

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2013年02月05日

昭和の生活(29) ラテックスの消費量急増(昭和27年)

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 都内十数カ所にある風船工場が活気を呈していた。多くの食料品や化粧品の景品に、風船が採用され始めたからだ。ある化粧品会社などは、年間100万個を注文。宣伝用の風船は、生産量の3割以上にも達するようになった。

 価格は、風船代1円から20円、印刷代20銭から80銭、膨らますためのガス代3円ほど。過剰生産気味で、昨年より3割安となってしまったそうだ。

 風船のように急激な需要増ではないが、同じラテックスを原材料とするコンドームも新製品が続出。

 なかでもサンモリスの薬品コンドームは異色。『尖端内部に塗付せる殺精剤の溶解により、コンドーム内にて精子を殺精し、避妊の目的が達せられます。殺精子力と共に殺菌力が強く、性病予防の安心感が得られます』だって。

引用データ:「新発明の薬品コンドーム 2重防壁のサンモリススキン」/日本製薬株式会社、沢谷ゴム工業株式会社/『週刊朝日』昭和27年7月20日発行

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