2015年05月01日

昭和乙ニュース(13)2,000円でテレビの夢! 昭和34年

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 広告の最新型遠距離用「アリアテレビ(14T−803型)」はメーカー不明だが、15回払いの月賦価格4万3500円。高いか安いか?

 公務員の初任給1万2900円、新聞購読料(1か月)390円、封切り映画館入場料150円の時代だから、今どきの価格に直せばほぼ10倍、43万5000円となる。当時のおとうさんは大変だったのだ。

 ピッカピカの14吋白黒テレビで何をみるか? もちろん「番頭はんと丁稚どん」「少年ジェット」「七色仮面」「ジャガーの眼」「ママちょっと来て」「崑ちゃんのとんま天狗」だ。自宅にテレビがない子は、近隣の家に上がりこんでみていた。

 広告主の前身は、昭和23年創業の神田富山町「ラジオ月賦店鈴や」。以降、着実に業績を伸ばし、同33年に第一家庭電器株式会社を設立。新橋に第1号店開店。この広告が出たころ、秋葉原、新宿にも出店。

 ただし、平成14年に経営破たん。2年後に法人格が消滅してしまった。

画像:朝日新聞夕刊/昭和34年12月2日

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2015年05月03日

昭和乙ニュース(14)東京タワーは曲がっている 昭和34年

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「東京タワー、曲がってへんか?」とアマチュアカメラマン。さらに、南南西に1.8キロ離れた魚藍坂(ぎょらんざか)あたりから眺めた人は「少し右側に傾いて見える」・・・タワー開業翌年の話である。

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 なぜそう見えるのか。カメラの場合「レンズの屈折、手に持ったカメラの水平位置のせいかも知れない」し、肉眼では「タワーの左側に太陽が当り右側に影ができる」ことと、「芝公園の森の木立に起伏があり人間の目がこの起伏に仮想の地平線を考える」からではないかと新聞は分析。

 要するに撮影時の状況、あるいは眼の錯覚じゃないかというわけだが、日本電波塔株式会社としては沽券にかかわるから「科学的に測定したろじゃないか」ということになった。

 どうするか。

「展望台をのせた塔の本体(二百五十二メートル)には総計二十七本の横ケタが通っているが一本ごとに中心にセンターポンチがあり、完工時には白ペンキで上下に垂直線の目印がして」あるから、「ポンチを頼りに中心線を出して、幅1センチの白いビニールテープを張り、これを地上からトランジットで測って、塔の上から下までこのテープが垂直につながって見えればOK」というわけ。

 ところが、翌々日の紙面に「塔の横ケタ二十七本に、それぞれ中心線のテープをはるのが予想外に大工事」になるから、「測定は一応延期」になったとある。沽券が測定費用に負けたのだ。

 で、結論。後々、測定を行なったら、やっぱり東京タワーは傾いていた。ただし傾度4000分の1。約8センチの傾きだった。

画像:朝日新聞夕刊/昭和34年12月2日

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2015年05月05日

昭和乙ニュース(15)ハリス チウイン ガム 昭和30年

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 ハリスは昭和30年代を代表する菓子メーカー。チューインガムが大ヒットした。

「グリーンガム」「ミントガム」「スペアミントガム」「コーヒーガム」・・・いずれも“お口の恋人”会社の商品なのだが、最初に開発したのはハリス。

 社名は初代駐日公使タウンゼント・ハリスから拝借。HarrisではなくHARIS。

 年季の入ったオジオバなら、腹話術師「川上のぼる」の相方が「ハリス坊や」だったことを覚えているはず。「一等賞〜♪」も。

 子供向けTV西部劇『名犬リンチンリン』の提供を始めたのが昭和31年。おかげでシェパードを飼う家が多かった。洋犬と味噌汁ぶっかけご飯は似合わなかったけど。

 最盛期は昭和35年。Wikipediaによると「チューインガムだけで年間売上45億円、シェア40%、従業員1000人に拡大」していたそうだ。

 残念ながら社長が病気で倒れたため、本社に隣接するカネボウに吸収統合されてしまった。昭和39年のことだ。


画像:朝日新聞夕刊/昭和30年4月6日

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