2015年08月17日

昭和乙ニュース(16)みのりの秋に楽しい平凡 昭和30年

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 戦争が終わって間もない昭和20年11月、芸能誌『平凡』が創刊された。版元は<合資会社平凡>。翌月27日には、エンタツ・アチャコなどが登場する正月映画『東京五人男』が封切られたから、ニッポンの立ち直りは速かった。

『平凡』の売れ行きは順風満帆。25年2月号=27万9000部だったものが、28年1月号は100万部の大台に。<平凡出版株式会社>に社名変更したのは29年。翌30年6月号は140万部。出せば売れた。

 参考画像の「昭和30年11月号」だが、2大付録つきで定価95円也。当時、アンパン1個10円だったから、現在の価値にすると950円ほどか。ちなみに映画館のお代は100円、うな重は350円だった。

 第1付録は<お好みスタア 大型ブロマイ5人集>で「これだけでも50円の値打!」とある。今どきなら500円ね。<お好みスタア>とは「伏見扇太郎」「若尾文子」「中村賀津雄」「高千穂ひずる」「石浜朗」。明確に顔が浮かんでくるのは若尾文子だけだけど。

 第2付録は<若い人の医学>。「誰にも聞けないあなたの悩みもこの一冊で解決!」「医学界の権威20人の博士が解答!」とある。当時の若者はシャイだったのだ。

 昭和58年に社名変更。<マガジンハウス>となったのだが、その4年後の62年に『平凡』休刊。翌63年に『平凡パンチ』も休刊したから、「平凡」を冠した雑誌はすべてなくなってしまった。


▲昭和30年代の「日本の街角」

画像:朝日新聞/昭和30年9月22日
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2015年08月19日

昭和乙ニュース(17)宙づりザイルへ銃撃 昭和35年

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 昭和35年9月19日、谷川岳に登った2人の会社員(20歳と23歳)が、登山中にザイルで宙づりなってしまった。場所は一ノ倉沢の通称「衝立岩(ついたていわ)」の正面岩壁上部からおよそ200メートルの地点。

 通報で駆けつけた群馬県警察谷川岳警備隊が双眼鏡で状況を確認したところ、すでに2名は死亡していることが判明。遺体収容を試みたのだが、切り立った崖の中腹だから手も足も出ない。

 そこで遺族や山岳会の同僚たちは、自衛隊に銃器でザイルを切断してくれるよう依頼。5日後、相馬ケ原の陸上自衛隊駐とん部隊から狙撃部隊の射手12人が召致され、「宙づり現場の西南、約百三十メートル下の急斜面に山岳会員たちがザイルを張ってつくった銃座」から、直径12ミリのナイロン・ザイルを狙うことになった。

 いずれの射手も「特級」の技量。「ライフル銃五、カービン銃五、軽機二が放列を敷き、仰角六十度で射撃」、2時間で1000発以上の弾丸を使用したものの、ザイル切断は難航。1300発を超えたあたりで、ようやく銃撃に成功。約5日間宙づりになっていた遺体は、無事、「約百メートル下の岩の基部に死体が落ち」たのであった。


▲昭和35年のニュース/谷川岳ザイル銃撃宙吊り遺体収容事故

 今どきならどうか。ザイル銃撃から55年後の本年7月29日、北アルプス屏風岩(長野県松本市)の標高2500メートル付近で同様のアクシデントが発生。午前9時ごろ、クライミング中の男性から松本署に「仲間が落ちた」という通報があったのだ。

 転落した仲間は、ほぼ直角の岩場にザイルでつながった状態で宙づり。通報した男性は岩場にしがみついたまま身動きできなかったのだが、一晩ビバークしたのち、無事救出。いずれも60代の男性だった。

画像:朝日新聞/昭和35年9月24日
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2015年08月21日

昭和乙ニュース(18)日本、相つぐ世界新 昭和34年

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 日本水泳連盟が国際水泳連盟に復帰加盟したのは、戦後のどさくさが一段落した昭和24年。古橋廣之進や橋爪四郎など6選手は、ロサンゼルスで行なわれた全米選手権に参加した。

 そのときの成績は芳しくなかったのだが、10年後の同34年、大阪で行なわれた<日米対抗水上大阪大会>では、日本人による世界新記録が続出する「まったく山中の独り舞台」だった。「記録をねらった。アメリカは・・・実力的には相当高いと思う」とは太田監督の言葉。

 記録は新聞の見出しにあるとおりだが、残念なことに5年後に開催された第18回東京オリンピック大会での成績は以下のとおり。つかの間の世界新だったというわけ。

400m自由形 4分19秒01で6位入賞
800mリレー 8分03秒08で銅メダル

■現在の世界記録

400m自由形 3分40秒07
200m自由形 1分42秒00
800mリレー  6分58秒55

■最近の中学生記録

400m自由形 3分55秒10(萩野公介)
200m自由形 1分49秒25(萩野公介)
800mリレー  7分39秒53

画像:朝日新聞/昭和35年7月27日
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2015年08月23日

昭和乙ニュース(19)先生三人の野天教室 昭和20年

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<空ばかり續け!>と願うのは、「品川區立會校(立会国民学校)」の生徒(300人)と先生(3人)たち。終戦から約2か月半後、「五月の空襲で炎上」して「塀のみ空しく殘る廢墟」となってしまった母校の庭で開始された「野天教室」を取材した記事だ。

 5月の空襲とは、昭和20年5月24日の大空襲のこと。前年に八王子郊外などに疎開していた児童たちは無事だったが、「戰爭がすんで約三百名が歸京した」から、さあ大変。

 廃墟の庭に教室をつくるため、「資材獲得に先生たちは奔走」したものの、出来上がったのは「塀の側に小部屋二つの校舎」。一つの校舎に「虚弱兒童六十名を収容」、もう一つに「午前午後と二部學級として<青空學校>を開始した」のだ。

「男の子も女の子も六年生も一年生も一緒」で、教科は「讀本と算術の二科」、担当する先生は「僅か三人」。それでも「子供たちの表情は意外なほど明るい」から救われる。でも、すぐに冬の季節が到来。続報がないので、寒さ対策はどうしたのかは不明。

 現在の立会小学校は京急鮫洲駅近くの東大井4丁目にあるが、当時の立会国民学校は国鉄大井町駅の駅前にあった。移転後の跡地に品川公会堂が建てられ、その後は「きゅりあん(品川区立総合区民会館)」に大変身。LABI(やまだ電機)の裏側といったほうが分かりやすい。

画像:朝日新聞/昭和20年11月6日

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2015年08月25日

昭和乙ニュース(20)浅草の少年スリ団 昭和30年

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 浅草の「少年スリ団の一味」が上野署に補導された。被害者は、祭りでにぎわう南千住の歩道を歩いていた女性。一味は「スカートのポケットから四百五十円入り財布をスリ取った」らしい。

「祭り」は、現在でも毎年6月上旬に盛大に行なわれている「素盞雄(すさのお)神社天王祭」。それに合わせ、はるばる浅草から仕事をしにやってきたわけだ。

 主犯格の中学3年エー坊(15歳)は、同じく浅草のボーズ(16、7歳)から「スリの手ほどきを受け」、さらにそれを「近所の少年たちに伝授」。「小学生四人、中学生六人計十人」のスリ団を結成した。

 一味の小学6年フミ公(11歳)、小学2年テツ坊(8歳)の役目は不明だが、南千住の祭りだけでなく、「昨年二月から荒川、北区内の映画館や盛り場などで二百件約十万円のスリを働いていた」というから、オトナ顔負けの巾着切り。

 当時、国家公務員の初任給が8700円だったから、被害総額10万円を今どきの価値に直せば200万円ほど。ひとり当たり20万円の稼ぎだ。

 スリ団一味のその後は不明だが、本年、エー坊は75歳、フミ公は71歳、テツ坊は68歳になる。

画像:朝日新聞/昭和30年8月28日
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