2015年09月01日

昭和乙ニュース(24)ホンダベンリイ号 昭和30年

024_30-04-06朝日夕_ホンダベンリイ号.jpg

 昭和21年、本田宗一郎(39歳)が静岡県浜松市に本田技術研究所を設立し、自転車用補助エンジンの製造を開始。文字どおり、自転車に補助的に取り付けるエンジンだ。通称「パタパタ」。

 自転車同様、誰もが乗れたかというと、そうではない。パタパタは自動自転車に分類され、小型自動車免許(14歳以上)が必要だった。

 27年、道路交通取締令改正により、原動機付自転車(原付)は無試験許可制(14歳以上)となる。法廷最高速度=25km/h、2ストローク=60cc以下、4ストローク=90cc以下。

 29年、またもや法改正。2、4ストロークとも50cc以下が第1種原付、51〜125cc以下が第2種原付となる。いずれも無試験許可制(14歳以上)。広告の<ホンダの新車 ベンリイ号125cc 誰でも乗れる無試験許可制のオートバイ>は、まさにこの時代だったから。でも法廷最高速度=25km/hはそのままだった。最高速度80km/hも出るのにね。

 広告が掲載された5年後の35年、またまた法改正。50cc以下の第1種原付が免許制になり、二人乗り禁止。対象年齢が16歳以上に引き上げられた。ただし法廷最高速度=30km/hになったから、痛し痒しか。

 第2種原付はどうなったかというと、40年の法改正で自動二輪免許が必要になり、50cc以下が原動機付自転車免許となった。以降、原付=要免許、50cc以下、法廷最高速度30km/hはそのまま。<誰でも乗れる無試験許可制のオートバイ>の登場は、もうムリか。

画像:朝日新聞昭和30年4月6日夕

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2015年09月03日

昭和乙ニュース(25)朝日ソノラマ 昭和35年

025_35-05-20_朝日_朝日ソノラマ.jpg

 仏国でビニール製のペナペナしたレコード盤(ソノシート)が開発されたのが昭和33年。その翌年、朝日ソノプレス社が設立され、印刷物+ペナペナ=音の出る雑誌『月刊 朝日ソノラマ』が創刊された。

 ソノシート6枚つきで360円。当時は都市勤労者世帯の月平均収入が4万円ほど。EP盤300円、LP盤2000円だったから、売れないわけがない。ペナペナ具合は再生音も同様であったものの、ニューメディアとしてもてはやされた。

 ただし、順風満帆とはいかなかった。ソノラマ人気にあやかり、従来の出版社やレコード会社も参入してきたからたまらない。いずれも「ニュース記事やルポはいらん、音楽一本で勝負やっ!」だったから、ニュース記事や現場ルポなどが満載の『月刊 朝日ソノラマ』は売り上げ低迷。

 結局、報道に特化した『月刊 朝日ソノラマ』と、音楽あるいは児童向けのソノラマ誌に分けて出版することになるのだが、昭和48年12月に休刊(廃刊)となってしまった。

 一時期、パソコン誌の付録(デジタルデータを音として記録)や、インディーズバンドの新譜などに利用されたソノシートだが、ついに平成17年、国内生産中止となってしまった。

▲音もペナペナのソノシート。赤い色が多かった。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2015年09月05日

昭和乙ニュース(26)人材募集 昭和20〜21年

026_朝日新聞広告_人材募集_2.jpg

 終戦直前から戦後にかけ、朝日新聞に掲載された求人広告3種。

<昭和20年8月12日>
「戰時農事指導者」の訓練生を募集する広告。内容は「戰災地復興食糧自給体制確立指導者ノ実際的訓練」なのだが、「八月十七日ヨリ九日間」でどのような訓練をするつもりだったのか不明。

「第四回」目だから、速成は速成なりに、効果があったのかも。悲しいことに、3日後に玉音放送。主催の「戰災戰力化關東実践本部」がどうなったかも不明。

<昭和20年11月6日>
 終戦から82日後の「進駐軍要員緊急募集」広告。正確には「米進駐軍」。占領地の現地雇用だ。

 戦後まもなく、外地(戦場あるいは植民地支配下)には皇軍兵士および民間人が700万人近く残留していたから、現役の「ペンキ屋、料理人(コック)、鐵管工、大工」は少なかったはず。そのため、同様の求人広告は数年に渡って掲載された。

<昭和20年12月26日>
 戦後から134日後の「進駐軍要員緊急募集」。この頃から募集内容に変化あり。「英語の會話及飜譯に堪能なる者」とあるから、言葉の問題が大きかったのだろう。

 翌年1月9日の募集内容は「タイピスト、速記係、配送係、飜訳者、看護婦、タイプライター修理工、トラック運転手、自動車運轉手、女給仕、女現金出納係」。

 同月27日は「飜譯者(一流練達者)、女書記(専門學校卒業以上)、タイピスト、速記係、建築技師、タイプライター修理工、自動車修理工」となる。ただし「(何れも英語の出來るもの)」だって。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2015年09月07日

昭和乙ニュース(27)島崎雪子、姿を消す 昭和25年

027_25-09-24朝日_島崎雪子姿消す.jpg

 デビューしたての女優島崎雪子(19歳)が行方不明になった。家を出たのは5日前。シナリオライター宅を訪ねたあと、以降の足取りがつかめなくなったのだ。

 所属するプロダクションの話によると、新東宝の新作『夜の緋牡丹』に「初の主役(芸者たい子役)を振られたが・・・主役が轟(夕起子)に回りそうになった」。それを知った島崎は「(新東宝シナリオライター)八田氏を訪ね”自分にやらしてくれ”と語ったまゝ消息を絶った」のだそうだ。

 ところが実際は、轟は「都合により同映画の出演が不能となった」から「再び主役のおハチは島崎に回ってきた」ものの、島崎は知らずにいるだけ・・・悲しみに打ちひしがれた可哀想な島崎の命やいかに。

 結論。心配しただけソンだった。島崎は失踪しておらず、すべてプロダクション代表である藤本真澄が計画した売り出し作戦だった。コトの顛末を轟夕起子に謝罪し、島崎は主役を演じることが出来たのである。

 以降、お騒がせ女優は続々と出現することになる。

▲これを観れば、島崎雪子が分かる。

画像:朝日新聞/昭和25年9月24日
posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース

2015年09月09日

昭和乙ニュース(28)返せばいゝでしょ 昭和26年

028_26-1-25 朝日 返せばいいでしょ.jpg

「カゴ抜けアベック」が捕まった。日本橋のホテルに時計商を呼びよせ「オメガの時計を三十六個売る」と持ちかけるなど、「八十四万円のカゴ抜け詐欺」を働いた容疑だ。

 カゴ抜け詐欺とは、相手を信用させるため会社やホテルなどを利用し、指定場所へ金品を持つてこさせ、それを受け取ると相手を待たせておき、そのまま建物の裏口などから姿を消す手口の詐欺のこと。江戸時代、駕籠の代金を払わず、駕籠から抜け出して逃げてしまうことを「篭脱け」と言ったらしい。

 手垢のついた犯罪ではあるが、「家出娘」と「二世気どり」の「アベック」というのが興味をそそる。しかも男は女の「情夫」なのだ。

 家出娘の名は「山口公子(二〇)」。津田英語塾中退で、犯行のあったヤシマ・ホテルに勤務していた。そのホテルにたびたび泊まりに来たのが二世気どりの「ジミーこと神佛典儀(二八)」。すぐに二人の交際が始まった。

 それに気づいた娘の父親は、当然ながら怒り心頭。傷心の娘は家出を決意し、男とともに「渋谷や目黒方面のホテルや知人宅を泊り歩き」、犯行のあった3週間前から「雅叙園に泊っていた」という。

 結局、二世気どりは雅叙園、娘は品川区大崎の太陽ホテルで逮捕。残っていたのは48万円で、「あとはホテル代などに使った」と供述。

 ちなみに当時の物価だが、公務員上級職の初任給が5500円、銀行員の初任給が3000円、カレーライスおよび映画館入場料が80円、週刊誌が25円。搾取された84万円は途方もない金額だった。

 勤務していたホテルでカゴ抜け詐欺とは、まるで池波時代劇の「引き込み」。我が家の庭同然だから、ずらかり方に迷うことはなかったと思われる。

 一点気になるのは、記事タイトルの「返せばいゝでしょ」。おそらく家出娘がはいた言葉だと思われるが、記事中に状況は語られていない。

画像:朝日新聞/昭和26年1月25日
posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース