2016年01月09日

昭和乙ニュース(83)大映株主各位に謹告 昭和36年

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 謹告とは<つつしんでお知らせします>の意。昭和36年8月4日付朝日新聞に掲載された謹告は、大映社長だった永田雅一が同社株主に向けたもの。

 それによると、『週刊現代』(同年8月13日号)に「クーデター寸前の大毎オリオンズ」という記事が掲載されるが、その内容は「許せざるものあり」。当然ながら「会社ならびに株主の名誉」が著しく損なわれるから、関係者を「信用毀損と業務妨害」で告訴したというもの。「熟慮の結果」らしい。

 大毎オリオンズの正式名称は毎日大映オリオンズ。昭和33年、毎日オリオンズと大映ユニオンズが合併して出来あがった球団だ。大映が球団経営をしていたから、オーナーは社長の永田雅一。略称が大毎オリオンズとなったのは、「球団の主導権を握っているのは大映であるぞよ」の意。永田社長は超ワンマンで有名だった。

 その大毎オリオンズ、前年の昭和35年にパ・リーグ制覇を成し遂げた。もちろん、初優勝に永田社長は大喜び。ところが好事魔多し、日本シリーズで大洋ホエールズに4連敗。すべて1点差のゲームだったから永田社長は激怒。

 中でも第2戦のスクイズ失敗が気に食わなかったらしく、監督の西本幸雄を電話で叱責。結果、監督は辞任してしまう。

 どうやら、週刊誌に掲載される「クーデター寸前の大毎オリオンズ」という記事は、勝敗に一喜一憂するワンマン永田に選手たちが反旗をひるがえしたことを扱っていたのだと思われる。

 残念ながら告訴の結果は不明。確かなことは、昭和44年にロッテに命名権を売却したことで球団名がロッテ・オリオンズに変更されたこと。同46年1月25日にオーナー職を辞してしまったこと。その年の12月23日に大映自体が倒産してしまったこと・・・などなど、ワンマン永田の末路は寂しいものだったのである。

画像:朝日新聞/昭和36年8月4日

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2016年01月11日

昭和乙ニュース(84)テレビ欄 きっかりスタート 昭和37年

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 昭和37年5月4日付の朝日新聞夕刊に掲載されたテレビ番組表。今どきと違って、正時(00分)きっかりに番組スタートだったから気持ちがいい。当時は時報代わりにもなっていた。

 ところが「他局がCM中に番組をスタートしたら視聴率が稼げるんじゃねぇ〜の」と考えた局が出現したからたまらない。日本テレビだ。

 たとえば看板番組だった『マジカル頭脳パワー!!』の場合、平成6年3月26日までは20時(土曜)開始だったのに、同年4月14日から19時54分(木曜)開始になった。フライングスタートと言うらしい。

 結果、見事に視聴率アップ。姑息な手段だと思われていたのに、負けじと他局も参戦。一時はフライングの嵐となった。もちろん、視聴率を気にしないことになっているNHKは不参戦。

 この頃では、BS放送を中心に正時スタートの番組も増えてきたから、時報代わりになるかと思ったのだが、テレビの機種ごとにデジタル処理にかかる時間が異なるので、それもかなわず。とっくの昔に時報の音声チャイムもなくなっている。

画像:朝日新聞夕/昭和37年5月4日

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2016年01月13日

昭和乙ニュース(85)テレビ欄 ニュースがない 昭和37年

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 前回と同じ昭和37年5月4日付の朝日新聞夕刊に掲載されたテレビ番組表。極端にニュース番組が少なく、番組と番組の間に5〜15分ほど挿入されているだけ。あとはすべて娯楽番組ばかりなのに驚く。

 しかも、そのほとんどが新聞社系のニュース映画社が制作していたから、テレビ局独自の視点など入れようがなかった。

 おそらく、機材の問題が大きかったのだろう。機動性が重視される取材現場で使われたのはゼンマイ式の小型16mm映画カメラ。撮影後のフィルムをバイクなどで現像所に運び、そのあと切った貼ったの編集作業を要したから、テレビ局はお手上げだったのだ。

 そんな中、TBSテレビが思い切った番組を登場させた。昭和37年10月1日スタートの『JNNニュースコープ』だ。月〜土曜日の午後6時30分から20分間。番組を仕切るのはアナウンサーではなくキャスター(戸川猪佐武と田英夫)。映像が間に合わなくても、キャスターの語りでなんとかなった。

 以降、せきを切ったようにニュース番組が登場。昭和の終わり頃になると、報道と娯楽の中間のようなニュースショーが流行り出すのだが、テレビ局あるいはキャスターの思想が色濃く反映されるようになり、物議を醸すことが多くなったのはご存じのとおり。

画像:朝日新聞夕/昭和37年5月4日

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2016年01月15日

昭和乙ニュース(86)飲酒行事排除の件 昭和29年

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 皇室に対し、こまごまと物言いがつけられるのは今も昔も変わらない。昭和29年4月24日付朝日新聞のコラム<青鉛筆>に、しゅうとめのイビリにも似た物言いがあったことが書かれている。

 それによると、「日本禁酒同盟の幹部五名」が宮内庁長官に「皇太子殿下の御旅行に関し飲酒行事排除の件」という申し入れを行なったとある。

 つまり、「満十九歳の皇太子さま」がご旅行中にご出席される「カクテル・パーティ」などで「何かと飲酒されている」のは、「未成年者飲酒禁止法の公然たる軽視」ではないのか。できれば飲酒行事を排除してほしいというもの。

 日本禁酒同盟とは<酒害に関する知識を普及し酒害の予防及び酒害者の救済を目指す団体>で、前身は日本禁酒同盟会(明治31年発会)。平成24年に一般財団法人に移行しているらしい。

 居酒屋で飲んだくれるわけでなし、レセプションなどで形式的に口にするだけだと思われるのだが、まるで重箱の隅つつき。さらに、昭和天皇の皇太子時代は「外遊されたとき、酒、タバコを一切口にされ」なかった。だから「外国高官からりっぱなプリンスだ」といわれた・・・などと余計なことを言うものだから呆れてしまう。

 それに対し宮内庁長官は「御主旨拝承いたしました」と慇懃対応。同庁の幹部が「どうも細かすきるようで・・・」と微苦笑したらしい。大笑いでもよかったのでは。

画像:朝日新聞/昭和29年4月24日

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2016年01月17日

昭和乙ニュース(87)中央信託銀行の「ゆとり会」 昭和41年

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 中央信託銀行は昭和37年から平成12年まで存続した銀行。三井信託銀行と合併して中央三井信託銀行と改称、現在は再度の合併により三井住友信託銀行となった。

 その中央信託銀行が、新本店(中央区京橋)落成の記念として「ゆとり会」を創設。入会すると、お得な貸付信託を契約することが出来た。運用は銀行任せだが、元金保証という貯蓄型信託商品だ。

 どのくらいお得かというと、「いまの25万円が成人の年に100万円」。つまり、赤ちゃんがオギャーと生まれたときに25万円を貸付信託にすると、成人の年に元利合計は100万円以上になるというもの。昭和41年当時の大卒初任給平均は5万円ほどだったから、初任給の5か月分が20年後に20倍の100万円は実に魅力的。

 なにしろ予想配当率は「5年もの年7分3厘7毛(7.37%)」。それを複利運用するから、雪だるま式に利息(運用益)が貯まっていくことになる。利益率は、なんと300%越え。当時の預金金利は「年2分1厘9毛(2.190%)」だったから、同じ金額を20年寝かせておいても38万5600円ほどにしかならなかった。

 ずいぶんお得感たっぷりの金融商品だが、広告コピーを眺めていてあることに気が付いた。「100万円・・・わが子が結婚する、独立するからといつて、即座に100万円を出せる方はまれでしょう」とあるが、20年後の満期償還時は昭和61年。さすがに、わが子の結婚や独立に当たって「即座に100万円を出せる方はまれ」ではなくなっていた。満期償還時の大卒初任給平均は15万円あまりだったのだ。

 昭和27年に誕生した貸付信託は、高利回りにも関わらず元本保証。1年経過後はいつでも換金可能という至れり尽くせりの金融商品。同40年代に入り、信託財産の50%以上を貸付信託が占めるようになったが、平成21年に信託銀行での新規取り扱いは終了。同26年にすべての契約が満期償還されている。

画像:朝日新聞夕/昭和41年9月7日

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