2016年05月01日

昭和乙ニュース(141)国電各線で運休や遅れ 昭和37年

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 戦後のメーデーは、昭和21年の第17回メーデーから復活。東京では皇居前広場(人民広場)と呼ばれた)に約50万人が集まった。

 昭和26年、メーデー会場は明治神宮外苑広場に変更になったのだが、翌27年、サンフランシスコ講和条約(4月28日発効)に怒ったデモ隊は、日比谷公園まで行進したあと、さらに予定外の皇居前広場に向った。

 このときのデモ隊は6000人、警備の警察隊は5000人。その両者が衝突したからたまらない。警察官が発射したピストルの弾に当たり、デモ隊の1人が死亡した。「血のメーデー」事件だ。

 その10年後、昭和37年5月1日付朝日新聞夕刊に掲載されたメーデー関連の記事は「交通も一時マヒ 国電各線で運休や遅れ」。血なまぐさいメーデーではなくなった。

 記事によると、「中央会場の神宮外苑付近は朝八時ごろから混雑」しはじめ、中でも「“権田原通り”は約二キロも車がつながった」とある。現在、「権田原」は交差点の名前で残り、通りは「東外苑通り」と名称変更されている。

 メーデー参加者は、朝7時〜9時半までの間、国電「信濃町」「千駄ヶ谷」「代々木」で「合計二十三万四千五百人が降りた」そうだ。前年度は「二十一万人」だったから「一二%増」。おかげで「総武線では十一本の電車が運休、五十二本が最高二十六分遅れた」らしい。

 ⇓ 新聞に掲載された写真と同じ角度で表示させたグーグルマップ。現在の東外苑通りだ。右側は赤坂御用地、左側は都営北青山一丁目アパート。赤いラインは、地下を走る都営大江戸線。

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画像:朝日新聞夕/昭和37年5月1日


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2016年05月03日

昭和乙ニュース(142)セットの中に変電所 昭和35年

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 東芝のテレビ広告。「超遠距離用・完全トランス式設計」の14吋型だ。

「セットの中に変電所」とは「電源トランス」のこと。コンセントからの電源100Vを昇圧、あるいは降圧して任意の電圧を出力するのが電源トランス。高価な部品なので、当時のテレビは電源トランスを使わないトランスレス方式が主流だった。

 製造コストを抑えることが出来るトランスレス方式だが、問題がないわけではない。当時は、夕方などに隣近所が一斉に電気製品を使い出すと、電源が100Vに満たなくなることがあり、画面が暗くなったりすることが多かった。

「電源トランス」を搭載していれば、多少、電圧が下がっても大丈夫。「コンセントから入ってきた電気をウマク調節」してくれるという。

 その結果、「電圧が下がっても、画面が暗くなりません」「スイッチを入れたら、画像がスグでます」「ラジオに雑音が入りません」のいいことづくめ。「外国でも高級テレビだけにしか使われていません」だって。

 気になるお値段は「現金正価63,000円」。トランスレス方式のテレビは5万5000〜6万円だったから、若干、高めだったが、昭和35年の民間平均年間給与は30万円ほどだから、その5分の1強で購入することが出来たことになる。

 もっとも「回転式テレビスタンド・・・1,600円」、あるいは「テレビ脚・・・1,200円」は別売だから、ずるい気もするが。

画像:朝日新聞夕/昭和35年5月7日

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2016年05月05日

昭和乙ニュース(143)映画広告 昭和24年

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 終戦から4年後の封切り映画広告。活字ではなく手書き文字で雰囲気を伝えようとしているところが微笑ましい。

 封切館の料金は48円也。当時、初任給は銀行員3000円、小学校教員4000円、巡査3800円ほどだったから、それほど高価ではなっかったと思われる。

 映画観客動員数が最高を記録するのは昭和33年。11億2745万人なのだが、残念ながら同24年のデータはない。

エノケン大河内の旅姿人気男(監督/渡辺邦男、新東寶)85分 劇中劇「丹下左膳」「國定忠治」に兩優早變り大競演! 五日全東寶系封切確定

殺人鬼(監督/大曾根辰夫、脚本/新藤兼人、松竹)88分 情痴か? 怨恨か? 美女慘殺さる! 松竹探偵編 國際上映中 五日封切

どぶろくの辰(監督/田坂具隆、大映)87分、巨匠・田坂具隆監督の野心演出! 問題の大映巨編上映中!

こんな女に誰がした(監督/山本薩夫、東横)89分、四日より大映系公開 東横大作 ※この年、「東横映画」と「大泉映画」が合併して「東映」となる。

聖バンサン(監督/モーリス・クロシュ、フランス映画)108分四八年度アメリカ最初のアカデミー外國映画賞を獲得した問題作! 原題/Monsieur Vincent


画像:朝日新聞/昭和24年7月1日
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2016年05月07日

昭和乙ニュース(144)総監督に黒沢明氏 昭和35年

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「オリンピック大会には必ず記録映画をとることになっている」らしい。

 そこで「組織委では東京大会の映画製作に当たる監督の人選」を開始、白羽の矢を立てたのが「“羅生門”でグランプリをとった黒沢明氏」。東京オリンピックが開催される4年前、昭和35年7月のことだ。

「七日これを正式に承諾した」黒沢はヤル気まんまん。さっそく「来月二十五日から始まるローマ大会」を視察し、帰国後、400ページ近い報告書を組織委に提出したほど。

 黒沢にとって、昭和11年のベルリン・オリンピックを描いた『民族の祭典』(監督/レニ・リーフェンシュタール)を超える作品をつくることが念願。

 そのためには「四、五十台のカメラを用意する大スタッフになる」し、「大型、小型スクリーン用、 カラー、白黒など数種類をとる」ことになる。さらに「大会の一年ぐらい前からカメラマンの訓練が必要」だと言う。

 というわけで製作費の見積もりは5億9000万円。一方の組織委の予算額は2億5000万円だというからお話にならない。しかも、お互い譲り合う気配なし。

 結局、黒沢明降板。すったもんだのあげく、本番5か月前に市川崑に決定したのであった。

 関連記事:『昭和乙ニュース(117)五輪映画つくり直す 昭和40年』

画像:朝日新聞夕/昭和35年7月7日

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2016年05月09日

昭和乙ニュース(145)好きなもの 原節子さん 昭和32年

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 昨年秋に亡くなった原節子(享年95歳)の映画デビューは15歳。以降、43歳で引退するまでに108本の映画に出演した。

 その原節子に漫画家清水昆がインタビュー(「好きなもの」第46回)。場所は「洗足のスタジオ」。昼休みを利用した「ほんの二十分間ばかり」。当時、原は「三十七歳」だった。

 記事によると、一番好きなものは「読書」。「ロシアの大作ものの小説など、若い時に読んどいてよかったですわ。一日中うちに寝転がってね」。

「今でも目の事情さえ許せば本を読んでるのが一ばん好きなんですけど、もう、ともかく、長いものはダメですね」。

「若いころでさえ、いい目でぶっ続けに読んで一週間かかったくらい。今は手当たり次第に乱読してます。下らないものでも何でもいい。活字を見てれば気持ちが落ち着くんです。といって三面記事は違いますよ(と新聞を拡げる大振りなゼスチュア)」。

「もちろん小説が好きですけど、旅行記は、もっと好き、自分も一緒に旅に出たみたいで大好き。若い時に読んだスエーデン人のスベン・ヘディンとかいう人の『チベット横断』、あれ、たまらなくよかったなあ(それから彼女独特の大目玉をグルリと見開いて)」。

「あたし若いころからそうなんですけど、悲しい小説を読むとワンワン泣いちゃうんです。はい、映画を観ても。こないだデボラ・カーの『情事の終わり』というのを新橋の全線座でみて、並木通りをシャクリ上げながら歩きました。少しイカレてるんでしょ。愚かなんでしょ。足りないんでしょ」。

▲デボラ・カー『情事の終わり』。The End Of The Affair - Trailer

「ダニー・ケイの『虹をつかむ男』をみた時は笑いすぎて顔がゆるんでアゴがゆがんで(と派手にホオをこわばらせる表情。案外茶目だな)あたし、悲しい方が好き。ふだん気持ちがスッキリとする間がないでしょ。それで悲しい映画を観て、一ぺんキューッと思い切り泣きますと、顔までキレイになるんですよ。いえ、ほんと」。

▲ダニー・ケイ『虹をつかむ男』。The Secret Life of Walter Mitty - Trailer

「つまり、好きなものを順にいえば、まず読書、次が泣くこと、その次がビール、それから怠けること」。

「ビールは湯上りに独酌一本。あたし、生まれつきオツムの働きがのろい上に、しばられることがきらいですから、日取と時間を指定したり、されたりする芝居のキップというものを買ったことがありません。予約や約束をしますと、こう、重苦しい圧迫を感ずるんです」。

「若いころは雲を見たり犬と遊んだり、何も考えないでポカーンと怠けていられてよかったなあ。このごろじゃもう雑事が一ぱいで、ほら、すぐまた税金の月でしょ。ゆうつだなあ」。

画像:朝日新聞夕/昭和32年11月7日

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