2016年09月01日

昭和乙ニュース(200)ニホンコーラ 昭和26年

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 昭和26年の「ニホンコーラ」。「アメリカ製原液」「純砂糖製」とあるが、味は不明。ついでに販売会社も不明。

 サイトで探ってみると、昭和26年当時、コーラの原液を輸入するために必要な外貨割り当てを確保するのは困難だったらしい。輸入認可されたのは5年後の同31年11月のこと。

 どうやって「ニホンコーラ」は原液を確保したのだろう。同じころ「ウィン・コーラ(WIN-COLA)」(日米通商公社)が発売されているが、こちらも詳細は不明。

 さらに5年後の昭和36年、コーラ飲料輸入自由化のおかげでコーラは雨後のタケノコ状態。「グリコ・コーラ」(グリコ)、「ニッポン・コーラ」(コッカ)、「サッポロ・コーラ」(札幌麦酒)、「グット・コーラ」(福永社)、「リボン・コーラ」(日本麦酒)、「RCコーラ」(壽屋)、「SSKソフト・コーラ」(清水食品)など・・・・。

 それにしても、キャッチコピー「日本一 うまくて健康になる飲物!」は大胆不敵。昭和44年5月8日の国会「衆議院物価問題等に関する特別委員会」で、社会党の代議士が厚生省局長に対する質問は次のようなものだった。

「一年ほど前の当委員会でコーラの中に歯を入れておいたら溶けたという話は事実かとの質問に対し、厚生省の答弁ははっきりしなかった。もし事実とすればこれはたいへんなことだが、コーラの内容に疑問の点がある。分析の結果を公表せよ」

 ・・・答えは「厚生省で検査した限りでは特別問題ない。コーラの成分は分析していない」だった。

画像:朝日新聞/昭和26年5月20日

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2016年09月03日

昭和乙ニュース(201)チンパンジー少年にかみつく 昭和42年

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 徳山動物園(山口県周南市)が開園したのは昭和35年。そのころからチンパンジーによる「バイクの曲乗り」や「テーブルマナーのパフォーマンス」が大好評だったようだ。

 チンパンジーの名は「メリー」。「九歳のメスで、体長一メートル十五、体重四十五キロ。大人三人分の力持ち」だが「おとなしかった」という。

 そのメリーがご乱心。バイクの曲乗り中、いきなり飛び降りて見物中の男の子(小学5年生)に襲いかかったのだ。「右コメカミを直径四センチほど円形に食いちぎられて一カ月の重傷」というから、大参事。

 メリーとバイクは「長さ七十センチの綱」でつながれていて、「一周五十メートルの広場を、平均時速十五キロぐらいで回る」ようになっていた。コース沿いに「高さ一メートルにロープ」が張ってあり、観客はそのまわりで見物。「係員四人」が監視していたそうだ。

 チンパンジーの寿命は35歳ほど。6〜7歳ごろから感情を抑えられなくなり8歳で性成熟。大人になるにしたがって狂暴化するらしいから、9歳のメリーは一触即発状態だったと思われる。

 現在の徳山動物園は「約50,000m2の敷地内に132種506点の動物を飼育」する本格的な動物園で、「毎年市内外から30万人弱の来園者がある」とHPに書かれていた。

画像:朝日新聞/昭和42年12月4日

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2016年09月05日

昭和乙ニュース(202)スリ、また活発化 昭和39年

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 東京オリンピックが無事閉会し、世の中が一段落していたはずの昭和39年11月。警視庁は「スリ被害が最近再びふえはじめた」ことで「スリ検挙を強化」することにした。

 捜査三課が「東京大会スリ班」を設置したのは「(昭和39年)六月二十日」。以来、「同班解散(11月5日)まで百八十人の捜査員が競技場、乗物、盛り場などで計二百八十人のスリを捕えた」というから、スリ班の効果絶大。

 なにしろスリ班がなっかったころ、被害は「一日平均十七、八件」。それが「大会期間中は六、七件と半分以下」になったのだ。

 ところが閉会後は逆戻り。「一週間ほどはジリジリふえ、毎日十件」を数えるほどになったというから、スリで生計を立てている方々は、オリンピック開会中とその前後は自粛、スリ班が解散したころで職場復帰というわけ。

 さて2020年の東京オリンピック、スリ班は復活するんだろうか。

画像:朝日新聞夕/昭和39年11月13日

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2016年09月07日

昭和乙ニュース(203)また筒抜け取締まり 昭和23年

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 警視庁の取り締まり情報が「筒抜け」になったのは、当時、活気にあふれていた都内のヤミ市。

 動員された警察官の数は不明だが、事前に「銀座」「新橋」「新宿」「高田ノ馬場」の4地区に分け、「生鮮食料品と主食の一せい取締」を行なったものの、「網にかかった」のは「銀座三件新橋、新宿、高田の馬場各四件、合計わずかに十五件」という体たらくだった。

 たとえば「新橋烏森一帯」では「取締班が乘り込むと非常ベルが鳴り」、近隣の料理店は一斉に店を閉め、「客は裏口から逃げ」るといった塩梅。

 この2年前の昭和21年夏、駐留米軍の協力を得た大阪府警察本が行なった「大阪闇市封鎖」は、東京よりも徹底していて、府下92か所のヤミ市が封鎖されている。

 もちろん、中国人朝鮮人の目に余る狼藉などを排除したかったのだろうが、「闇市封鎖」のおかげで、配給を当てにできない庶民は神戸や農村に買出しに出かけねばならぬ羽目になってしまった。

 うがった見方をすれば、警視庁の取り締まりは大阪の事例を反面教師としたのかもしれない。取り締まる警察官だって、ヤミ市がなければ生活が成り立たないからだ。

 なお、この年の食糧管理法違反の検挙件数は約42万件。10年後、昭和33年の検挙件数は約7900件だった。

画像:朝日新聞/昭和23年1月22日

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2016年09月09日

昭和乙ニュース(204)ウソのような話 昭和45年

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 たかが電卓が「¥89,000」もしていたことが「ウソのような話」なのだが、この広告が掲載された前年、昭和44年に登場した卓上計算機「Casio 161」のお代が19万8000円だったから「ウソのような話」だったのだろう。

 主な演算機能は四則算、定数計算、連乗、連除、連乗除、べき計算、混合計算など。完全自動小数点方式で、演算桁数は加減置数12桁、関12桁、商最大11桁・・・今どきの12ケタ電卓とほぼ同じ。

 今どきと異なるのは、液晶表示ではなくニキシー管(真空管)を使っていること。さらに電池駆動のLSIではなく、100V電源のMOS-LSI+ICであることなど。だから255(W)×295(D)×117(H)ミリ、2.5キログラムの超メガサイズだった。

 別のパンフレットには「3分でOK! 使いやすさ抜群」とあるが、おそらく電源オンから3分で使用可能状態になるということなのだろう。ニキシー管のヒーターが暖まらないうちは、数字表示もままならなかったのだ。

 この年、「タイガー手廻計算器」が製造を完了している。最後まで、昭和28年からの3万5千円を守り通したらしい。

画像:朝日新聞夕/昭和45年10月20日

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