2017年02月07日

昭和乙ニュース(254)下りは3時間10分 昭和40年

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 昭和39年10月1日午前6時の東京駅。「ひかり1号」は新大阪駅に向かって滑るように動き出した。新幹線電車(今どきの言い方では0系)の初仕事だ。

 所要時間は「ひかり」4時間、「こだま」5時間・・・それまでのビジネス特急「こだま」(151系)の6時間30分とくらべると約1.6倍。日帰り大阪出張には十分なスピードだった。

 でも当初の計画では、「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間。路盤が固まっていないため慎重運行をしていたため、なかなかスピードを出すことができなかったのだが、「そろそろ路盤もええんちゃうか」ということでスピード試験を行なうことになった。

 結果は記事通り。試運転(昭和40年10月27日)で「上り試運転列車が正味所要時間三時間十八分」、「下り試運転列車は完全に三時間十分」で万々歳。同年11月1日のダイヤ改正に間に合った。

画像:朝日新聞/昭和40年9月28日

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2017年02月09日

昭和乙ニュース(255)人出十万の鎌倉 昭和24年

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 昭和24年7月10日(日曜日)は朝からむし暑かった。おかげで海水浴場は「どっと押しかけたカッパ連」で大にぎわい。中でも鎌倉は「人出十万人」。

 すでに海岸では「脱衣場や氷店が軒を並べ」ていて、「ハデな客引き」もあり、「海の銀座」の面目躍如。「梅雨明けとともに猛烈な暑さ」がやってきても、受け入れ態勢は万全なんだと。

 7月で大にぎわいだから、「來月(八月)六日から十四日まで」開催される「鎌倉恒例の“海のカーニバル”」の時期はどうなんだろ。とんでもないことになりそ・・・というニュアンスで記事は終わっている。

 ちなみに「海のカーニバル」の前身である「鎌倉カーニバル」が開催されたのは昭和9年。発案したのは久米正雄や大佛次郎などの鎌倉文士。以降、日本の夏の風物詩になったが、戦争により中断。昭和22年に復活し、翌年には初日だけでも20万人の人出だったらしい。

 結局、諸般の事情により昭和37年を最後に中止となってしまったが、平成27年にまたもや復活。人気を集めつつある。

画像:朝日新聞/昭和24年7月11日

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2017年02月11日

昭和乙ニュース(256)警察手帳を詐取 昭和43年

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 世田谷の東宝撮影所で「小道具に使う警察手帳」を詐取される事件が起こった。

 所長の話によると、14日の午前、撮影所に「警視庁防犯課」を名乗る男から電話がかかってきた。内容は、「テレビ局で警察手帳をつくり暴力団に流した」ことが判明したのだが「参考のためおたくの警察手帳もみせてほしい」というもの。小道具の警察手帳を見せろというわけ。

 その日の午後、くだんの男が撮影所に現れ、「十五日に返す」といいながら「小道具の警察手帳一冊を借りて帰った」。「警察手帳らしいもの」を見せられたから、素直に渡すしかなかったらしい。

 成城署の話では、撮影用の小道具とはいえ「本物の警察手帳と色、形、大きさがそっくり」だから「悪用されるおそれがある」とみて、すぐに「詐欺などの疑いで捜査」を開始。男は「三十−三十五歳、身長一七〇センチぐらい」で「あから顔で早口」だったという。

「あから顔」とは、辞書によると「赤みを帯びた顔」「日焼け・酒焼けなどで赤らんだ顔」「血色のいい顔」とあるが、今どきは通じないかも。さらに「早口」は「しゃべり方が早いこと」だが、犯人の特徴とするには大雑把すぎるような気もする。

画像:朝日新聞/昭和43年5月21日

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2017年02月13日

昭和乙ニュース(257)殺到する“煙草屋志願” 昭和25年

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「退職官吏、会社員や中小商工業者」などがタバコ屋を志願しているという。

 事実、新規営業の申請は「東京地方局管内で七千五百七十件(昭和24年度)だったのに、「今年になると申請はぐんぐんふえ九月末現在半年で四千件突破、八百十件許可」。申請の殺到に「売行き低調で頭を痛めている専売公社」が驚いているという。

 殺到するほどタバコ屋は儲かるのか・・・都内の場合、専売公社から受け取る金額は月当たり「九千円から一万二千円」。「もうけは売上げの六分」だったらしい。給与所得者の平均年収が12万円の時代だったから、月9000円なら十分食べていけそう。

 要するに、月の売り上げが12万円あれば手取り9000円になる。ゴールデンバット(20本)30円、ピース(10本)60円だったから、ゴールデンバットなら4000箱(1日約130箱)、ピースなら2000箱(1日約65箱)売ればクリア。喫煙率が高かったから、それほどむずかしくはなかったと思われる。

 ちなみに前年度(昭和24年)の売り上げ日本一は「丸ビル内の売店」。なんと「五千六百六十二万三千百十三円」だった。ゴールデンバットで換算すると約190万箱に相当。売り上げ第3位の「日本橋の三越」は「一日六万五千円」、同5位の「東京駅乗車口の鉄道弘済会のタバコ屋」は「一日五万六千円」だった。

 売り上げ額を聞けば、誰でもタバコ屋をやりたくなってしまうが、当時、タバコ屋を開業するには専売公社(大蔵省管轄)に申請して許可を得る必要があり、その際、総裁名で出された「かなり詳細な規定」(昭和24年6月1日付)を満たしていなければならなかったから、誰でもというわけにはいかなかった。

 規定の内容は以下の通り。

1.予定営業者の位置、構造、設備の適否。
2.予定営業者と近接小売営業所との距離及び指定後これに及ぼす影響の程度。
3.申請地付近の交通の繁閑及び便否。
4.供給区域の戸数及び人口。
5.一箇月の製造タバコの取扱い予定高及びこれに充てることのできる資金の額。
6.資産信用の程度及び営業経営能力の有無。

 今どきは財務大臣の許可が必要になるが、『たばこ事業法』によれば、一定のエリア内で2店舗同時に営業することができないという程度の規定。登録免許税1万5000円を払えばOK。しかも粗利益は1割程度だから、昭和25年ではなく、今こそタバコ屋開業を目指すべき・・・と思うのだが、平成28年の喫煙率が全年齢男29.7%、女9.7%だから、結構、キツイ商売かも。

画像:朝日新聞/昭和25年11月7日

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2017年02月15日

昭和乙ニュース(258)予備校、徹夜で座り込み 昭和30年

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「徹夜の座り込み」となったのは「予備校の夏期講習会の受付」。受付開始は7月1日午前9時なのに、前日の6月30日夜9時には「三百人の入会希望者が玄関前に行列」ができた。「無試験申込順」だから並んだもん勝ちというわけ。

 それに対して予備校側は「三つの教室を一夜の宿に提供」。なかには「白髪の老人」もいて、「ムスコの代りにパンをかじりながら順番を確保」するのだそうだ。そんな光景に予備校側は「ホクホクのてい」。講習会費「1人千二百円」だったからだ。ちなみに昭和30年当時、給与所得者の平均年収は20万8000円。

 この年の高校卒業者数は71万5920人、大学への現役進学率は12.7%。一方、平成28年の高校卒業者数は104万8641人、現役進学率は55%。当時の大学数は228校、現在は775校だから、今どきとくらべ「大学入学難時代」であったことは確か。

 中でも人気があったのは駅弁大学(新制国立大学)。入学金400円、授業料(年額)6000円、しかも医学部・歯学部等も同じ。公立もその程度。私立の場合、入学金5000〜1万2000円、授業料(年額)2万2000円前後だった。

画像:朝日新聞/昭和30年7月1日

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