2017年04月01日

昭和乙ニュース(276)上野の夜桜に十余万人 昭和31年

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 61年前の4月9日(月曜日)、「上野のお山」は夜桜見物の人々で賑わった。「冷たい春雨にいじめられ通し」だったのに、前日から好天に恵まれ、「どこもあふれるように咲きこぼれた」桜で満開。

 上野署の調べでは「夜だけで十二、三万人の人出」らしいのだが、写真を見る限り、寒さ対策万全の「勤め帰りのサラリーマン」が目立ち、浮かれた感じがしない。今どきならブルーシートで埋まる並木道も、頭上に「五百個の紅チョウチン」が並ぶだけ。

 それでも、提灯の灯りに「浮き出た満開の桜」が「気圧されて色あせて見え」るほど、「山全体がホコリと”酒イキレ”にむせかえっていた」とあるから、昔は礼儀正しき酔っ払いが多かったようだ。どこで呑んだかは不明。

「東照宮前の広場では野外ダンスの催し」があり、おかげで「あとからあとから人の波」というわけだが、現在は広場などなく、日中友好を記念して開苑(昭和55年)した「ぼたん苑」があるのみ。

 ブルーシートで陣地を主張する昨今より、みんなでダンスだった昔のほうが良かったんじゃないかね。

画像:朝日新聞/昭和31年4月10日

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2017年04月07日

昭和乙ニュース(277)ニセ洋酒、また三人逮捕 昭和38年

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 築地署は、廃品回収業を営む夫婦と酒店店主を「商標法違反の現行犯で逮捕」した。

 容疑は、「密輸洋酒(アメ横仕入れ)」と「国産ウイスキー(酒店店主から仕入れ)」を混ぜたものに「ニセラベル」を貼り、密輸品として「銀座、新宿などのバー」に流していたというもの。

 逮捕時に押収された「密造器具一式」には、「<ホワイト・ホース><へイグ・アンド ・ヘイグ>のニセラベル一万余枚、キヤップシール二百余個」などがあったという。

 売りさばき値段は「一本三千五百円くらい」。ちなみに本物は<ホワイト・ホース>=4000円、<へイグ・アンド ・ヘイグ>=6000円。

 国家公務員の初任給が16000〜17000円の時代だったから、今どきの価値に換算すると、ニセ洋酒=3万8500円、ホワイト・ホース(本物)=4万4000円、ヘイグ・アンド・ヘイグ(本物)=6万6000円。「銀座のバーのほとんど」が飛びついたのも、うなずける。

 逮捕されるまでに「二万本近く流していた」らしいから、単純に計算すると7000万円の売り上げ。今どき換算なら7億7000万円也。混ぜて貼るだけの簡単作業で億万長者だから、こんな楽しい仕事はない。

 どうせなら、当時の最高級品<ジョニ黒>=9500円のニセ洋酒にすれば倍以上の儲けになったと思われるのだが、丸ビンの<ホワイト・ホース><ヘイグ・アンド・ヘイグ>とは異なり、特長的な角ビンだったから断念したのかも。

画像:朝日新聞/昭和38年6月12日


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2017年04月09日

昭和乙ニュース(278)タンクの重油盗む 昭和41年

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「一〇〇トンの小型タンカーを(岸壁に)接岸」し、油槽所のタンクから重油を抜き取るという大胆な犯行を繰り返した男二人が捕まった。

 川崎臨港署によると、盗まれたのはA重油(漁業や農業で使われる無課税の燃料)。「一万キロリットルのタンク」から「前後四回にわたり計四百トン(約四百万円相当)」を盗んだ疑いだ。

 主犯格の男は、以前、「タンクにはいっている重油などの量を調べる仕事」をしていたというから、抜き取ることなど朝飯前。素人には大胆に思えても、仕事のフリをして盗めば怪しまれない。

 しかも「油槽所に出入りしている下請業者の従業員たち」によれば、「大きなタンクほどごまかしやすく、抜取りは役得ぐらいに考えている人も多い」らしいから、盗みは恒常的に行なわれていたことがうかがえる。

 この事件があった後、A重油の価格は高騰しはじめ、第一次石油ショック後の昭和49年には、前年の12.6円/リットルから約2倍の23.9円/リットルに。さらに同55年の第二次石油ショック後は、55.6円/リットルと前年の5割高となった。

 ちなみに、今どきのA重油供給価格は70円/リットル前後。仮に半額で引き取ってくれる業者があったとしても、小型タンカーを用立て、油槽所の監視の目をかいくぐってタンクから抜き取るなど、おびただしくワリに合わない・・・もっとも、「犯罪」そのものがワリに合わないんだけどね。

画像:朝日新聞/昭和41年3月2日


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2017年04月17日

昭和乙ニュース(279)ゾウぞよろしく 昭和24年

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 戦後間もなく、日本にいたゾウは3頭(京都市動物園1頭、名古屋東山動物園2頭)だけ。東京上野動物園にはいなかった。昭和18年から始まった戦時猛獣処分で殺処分されたから。

 エサなし、空襲ありでは、管理ができないというのが処分の理由。他の猛獣も薬殺などによって姿を消してしまったから、名ばかりの動物園となっていた。

 いたるところに戦争の傷跡が残る食うや食わずの時代。猛獣の補給など、喫緊の問題とはなりえない。でも、空っぽ動物園のままでは子どもたちが可愛そう・・・というわけで、タイから贈られたのがゾウの「カチャー」(メス/2歳半)。上野動物園到着は昭和24年9月4日、すぐに「はな子」と名付けられた。

 同じころ、インドのネール首相からも「インディラ」(メス/15歳)が贈られ、同年9月25日に動物園着。そのときの記事がこれ。一挙に2頭になったゾウのおかげで「この日の入園者は八万五千を突破」。年末までの3か月間、100万人近くの入園者があったらしい。

 なお「歓迎会」で「象使いに花束」を贈った美空ひばりは、当時12歳。1か月後、主演映画『悲しき口笛』(松竹)が公開され、大ヒットする。

「はな子嬢」のその後だが、翌年(昭和25年)から移動動物園で都内を中心に東京近郊を巡回。同29年に井之頭自然文化園に移されることになる。そしてご存じのとおり、平成25年にこの世とオサラバ。66歳だった。

 一方の「インディラ嬢」は、翌年の4月から10月まで東日本の17都市を巡回。延べ3500キロもの旅を続け、多くの子どもたちを喜ばせた。この世とオサラバしたのは昭和58年、49歳のとき。アジアゾウの平均寿命とほぼ同じだった。

画像:朝日新聞/昭和24年9月25日

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2017年04月19日

昭和乙ニュース(280)屑鉄価格のおしらせ 昭和27年

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 屑鉄の価格が急激に値上がりしたのは、昭和25年6月に始まった朝鮮動乱以降のこと。以下は、1トン当たりの炉前、市中価格の変遷ぶりだ。

 昭和23年 6月 ・・・  2100円(統制価格)
 昭和24年 1月 ・・・  4400円(統制価格)
 昭和25年 8月 ・・・  4500円(統制価格)
   〃 12月 ・・・  6380円(統制価格)
             1万円以上(市中価格)
 昭和26年 2月 ・・・ 1万2000円(統制価格)
             1万6000円(市中価格)
   〃   3月 ・・・ 統制価格停止令公布
             以降自由競争価格

 当然ながら市中価格は高騰し、業界はウハウハ。屑鉄回収業者も増えていくことなになる。

 新聞広告「屑鉄(スクラップ)価格のお知らせ」が登場したのは昭和27年4月。高騰を続ける屑鉄の買い入れ価格を知らせつつ、「何トンでも買いまっせ」「その場で現金払いだっせ」「解体、運搬も手伝いまっせ」「乞連絡、社員参上」と景気のいい話。

 屑鉄価格1トンあたりの価格は特級2万円、一級1万8000円、二級1万6000円、級外5000円。大卒の事務職初任給が約9000円、小学校の教員が約6000円だった頃だから、いかに屑鉄に価値があったかがわかる。

 ちなみに今どきの屑鉄買い入れ価格は特級3万円、一級2万9500円、二級2万8000円、級外2万5000円ほど。当時とくらべて給与は25〜30倍になっているのに、屑鉄価格はそれほど変わりばえしない。

 それにしても、昭和27年の新聞広告にしては洒落ている。イラスト・レイアウトといい、書体のバリエーションといい、平成時代でも十分通用しそうだ。

画像:朝日新聞/昭和27年4月27日

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