2018年03月07日

昭和乙ニュース(313)向ヶ丘への豆電車復活 昭和25年

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 昭和2年、小田原急行鉄道小田原線(新宿−小田原)の開通と同時に「向ヶ丘遊園」が開業した。

 宅地化が進む東京市荏原郡や北多摩郡では通勤客が見込めるものの、多摩川から先は不安だらけ。そこで考え出されたのが遊園地建設。数年前から「玉川第二遊園地(二子玉川園)/玉川電気鉄道」や「多摩川園/田園都市会社」が営業を始めており、いずれも乗客誘致に成功していたから、三匹目のドジョウ・・・というわけ。

 ところが用地交渉が難航。稲田登戸駅に近い枡形山を予定地にしたのだが、地主の反対で頓挫。すったもんだのあげく長尾地区に決定したものの、駅から1Kmも離れた場所だった。そこで浮かんだ妙案が「豆汽車」。稲田登戸駅から遊園地正門まで、客車7両、定員168人(子供)の小軌道だ。二ヶ領用水に沿って約1キロ、桜のシーズンは超満員となった。

 残念ながら昭和16年、豆汽車は「ガソリン不足で廃止」。ついでに「電車も軌道も軍に徴用」。さらに遊園地そのものも陸軍近衛騎兵連隊の訓練場として接収されてしまった。

 戦後、軍から返還された荒れ放題の向ヶ丘遊園は、農地解放の対象地にせよと主張する運動にも屈することなく、見事に復興。中でも、「全部新調」して復活した「豆電車」は象徴的な出来事。

「幅二フィート(約60センチ)、千二百メートルの軌道」を新たに敷き、「四馬力二個のバッテリーで動く可愛い機関車」が「七台連結、二百十人乗り」の「ダイダイ色の豆電車」をけん引。ガソリンエンジン動力から蓄電池動力になったから「汽車」でなく「電車」なのだ。

「料金は大人二十円、子供十円」で、今どきの物価に直せば大人1200円、子供600円といったところ。もっとも、入園無料だったから納得。昭和27年からは入園料「大人10円、子供5円」が必要になるけど。

 昭和30年、稲田登戸駅は向ヶ丘遊園駅に改称。同34年のパンフレットによると、新宿から急行で17分、準急で25分、向ヶ丘遊園行で30分。運賃は40円だった。

 しかし人気復活の豆電車も終焉をむかえる日がやってくる。昭和40年、沿線道路の拡張により撤去。代わって登場したのがモノレールだ。昭和41年、向ヶ丘遊園駅−向ヶ丘遊園正門駅の運行が開始された。

 そのモノレールも老朽化が指摘されて運航休止となり、結局、平成12年に廃止。台車の致命的な欠陥を改修する費用が捻出で出来なかったのだ。しかたなく代替えバスが運行されるものの、同14年、本体の「向ヶ丘遊園」が閉園してしまったから、すべてご破算。結構、寂しい話なのだ。

画像:朝日新聞/昭和25年3月26日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース