2018年05月01日

昭和乙ニュース(325)興行と暴力団 昭和40年

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 発売したレコードが「二千枚」売れないと「次の吹込み」が出来ない・・・当時の「レコード歌手」の常識だったらしい。

 EP盤(ドーナツ盤)290円×2000枚=58万円。一発当てたい新人歌手の中には「自分のレコードを買いあさる人」もいるほどで、「七掛け」で買い取れば「二千枚でざっと四十万円」となる。

 大卒初任給が2万円ちょっとの時代だったから、40万円はかなりキツイ。そんなとき「君の歌、気にいったよ。レコードになっているんなら、五百枚ぐらい引受けてやろうか」 と声をかけられた。

 声の主は「土地の親分」。新人歌手は「甘い話」にとびつくことになるが、その結果は想像通り、「親分のいいなり」と成り果てる。

 ただし、スターになってしまえば話は別。1枚の印税は「三円から五円どまり」だから、「十万枚」売れるヒットになっても「せいぜい三十万円」なのだが、「地方興行」なら「1日の出演料だけで二十万円」。

 しかも「暴力団主催ショーのギャラは、一般の興行師より割高」だから、「巡業歌手」も「暴力団と持ちつ持たれつ」となる。

 ・・・EP盤もキャバレーも廃れ、音楽ビジネスが大きく様変わりした今どきに暴力団の出番はないと思われる。

画像:朝日新聞/昭和40年3月10日

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2018年05月03日

昭和乙ニュース(326)危険地帯に続々と住宅 昭和43年

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「米海軍厚木基地」は、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがる軍用飛行場。その「滑走路の両端1キロ四方」と「それをつなぐ線内の地域」が「指定区域」とされた。※今どきは、アメリカ海軍と海上自衛隊で共同使用。正式名称は「厚木海軍飛行場」。

 米軍機が離着陸する際の「爆音被害が大きく」、「墜落事故の危険も多い」からというのが理由。要するに「危険地帯」。

 指定されると「区域内の住民が移転を望むなら土地を買上げ」、さらに「移転補償もする」という制度。「農地、山林も買上げる」というから至れり尽くせり。昭和43年3月時点で「対象戸数六百三十七戸のうち二百二戸が移転」した。

 ところが同じ時期、「家を建てる人が急に目立ってきた」から、あら不思議。家が増えてきた理由は、以下の通り。

@「指定地域」制度は強制法規ではない。おまけに政府の買取り価格は安い。そこで地主としては政府に売るより、宅地を求める人に少しでも高く売った方よい。

A私鉄二線が通る大和市は東京へ一時間、横浜へ三十分。さいきん東名高速道路もついた。普通なら地価は五、六万するが、「指定区域」内ならかなり安く買える。

Bそこに飛びついた不動産業者も区域内で宅造を始めた・・・など。

 というわけで、「私鉄駅に徒歩十五分ほど」の上草柳地区(滑走路の北側)と福田地区(滑走路の南側)に「新築が目立つ」ようになり、この1年では「新築戸数約二百」にもなった。

 上草柳地区の宅造地を購入し、家を建て始めている「横浜の会社員Aさん(三五)」によると、「不動産案内所に行ったら<安い土地がある>」と紹介され、その際、「指定区域ということも、基地が近いということも説明にはなかった」という。あいにくその日は日曜日。「米軍機は飛んでいない」から爆音は聞いていない。

 結局、「なかばおどかされ、なかば四万円(三・三平方メートル当り)という値につられ」て土地購入。残念ながら「気がついたときは業者は行方をくらましていた」そうだ。

 一方の福田地区。「一万三、四千円という安い地価」だったため「百余軒がバタバタと建った」。それにつられるように「二百万円ぐらいで土地と家を・・・」という人たちが連日、訪れているらしい。

 ところが実際に住みだすと、「ものすごい爆音には耐えかねて、最近、六十戸が被害対策協議会をつくった」という。しかし「昨年三月の<指定区域>設定後に越してきた世帯には土地買上げも移転補償も適用されない」から、「なけなしの金をはたいて家を作ったこの人たちはもう逃げだしようがない」そうだ。

 これ以上被害を増やさないため、「せめて『指定区域』の標識を」という声があるものの、「地価がますますさがる」という地主たちの反対で実現していないという。

画像:朝日新聞夕/昭和43年7月1日

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2018年05月11日

昭和乙ニュース(327)川崎で都心のお買い物 昭和35年

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 昭和31年、川崎駅前(川崎市小川町1番地)にオープンした「川崎さいか屋」が4周年を迎えたときの新聞広告。

 キャッチコピーは「川崎で都心のお買い物」。高級店としてスタートしたから、銀柳街では満足できない客で盛況だったのだが、年々、売り上げが低迷し、中途半端な立ち位置に。

 とどめを刺したのは、西口の東芝工場跡に再開発された商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」のオープン(平成18年)。

 東口から西口へ・・・人の流れが変わってしまい、ついに「川崎さいか屋」は平成27年5月31日に閉店。翌年、ビルが解体されてしまった。

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▲平成21年9月の「川崎さいか屋」。

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▲平成29年8月の「川崎さいか屋」跡地

画像:朝日新聞夕/昭和35年9月24日

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2018年05月13日

昭和乙ニュース(328)都電から振落さる 昭和21年

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 都電から振り落とされ「後頭部両肩打撲」で「二週間の重傷」を負ったのは33歳の郵便局員。なぜそんなコトになったかというと、車内に乗車していたのではなく、「前部乗降台にぶら下がってゐた」から。

 当時の写真には、運行中にもかかわらず、乗降台どころか正面(運転席の前)にもぶら下がっている人もいたから、おそらく暗黙の了解で許されていたと思われる。

 なにしろ空襲による被害は都電も例外ではなく、有楽町の本局庁舎が全焼したほか、12の営業所と車輌602両も焼失してしまったから、運行本数が極めて少なかったからだ。

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▲「神保町発志村行」は都電18系統。白山から巣鴨を抜けて志村まで運行。残念ながら昭和41年5月28日限りで運行終了。

 もうひとつの記事は、同じ日の夜に起こった省電の事故。

「省電から上半身を乗出してゐた」24歳の青年が、神田駅付近で「頭部を線路際の鉄柱に叩きつけ」てしまい、「打撲裂傷複雑骨折」で病院に収容されたというもの。

 6月の梅雨どき、満員電車の人いきれに我慢ならず、思わず外の空気を吸おうとしたのだろうか。上半身を乗り出していた理由は不明。

 今どきなら、都内を走る電車の窓は開かないようになっているから、ご安心。

画像:朝日新聞夕/昭和21年6月23日
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2018年05月15日

昭和乙ニュース(329)メヌマ プロ ポマード 昭和29年

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「メヌマポマード」の製造販売が始まったのは大正6年。当時、舶来のポマードは高級品だったので、安価な国産品の登場に若者は拍手喝采。販売直後から大盛況となった。

 ねっちょりベタベタの舶来品が鉱物性調髪油を使っていたの対し、「ヌメマ」は純植物性調髪油だったから「床しいしつとりとした艶 気持ちのよいノビとサラッと爽やかな洗い落ち」が特徴。

 開発したのは埼玉県大里郡妻沼町(めぬままち)出身の井田友平。17歳で上京、石鹸雑貨行商の見習い奉公ののち、明治43年に石鹸雑貨卸商「井田京栄堂」を設立した男だ。

 一時は国内シェア75%を占めた人気商品になり、戦後は社名を「株式会社メヌマ」に改称。海外にも進出したが、残念ながら現在は製造販売はしていない。

 ※埼玉県大里郡妻沼町は合併により埼玉県熊谷市となった(平成17年)。

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▲旧妻沼町で初の名誉町民になった井田友平。ご本人はポマードが必要ない頭髪模様だったようだ。

画像:朝日新聞/昭和29年12月29日

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