2018年06月09日

昭和乙ニュース(342)消える玉電、最後の晴姿 昭和44年

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 玉電の最終営業日は昭和44年5月10日だが、しばしの間、「花電車」が運行された。「明治四十年から六十二年間利用客に親しまれてきた」玉電の「最後の晴姿」だ。

 廃止となるのは「玉川線(渋谷−二子玉川園)9.1キロ」と「砧線(二子玉川園−砧本村)2.2キロ」。いずれも路面電車だから、「ふえる一方の自動車に追われ」、道を譲ることになったのである。

 クルマが増えただけでは路面電車の運行に支障は出なかったのだが、昭和34年に都の公安委員会が「軌道内へのクルマの乗り入れ」を許可したことが致命的になった。軌道内に入ったクルマが前方をふさぐからだ。

「大橋車庫をスタート」した花電車に、「敬意を表して(自動車は)おとなしくわきを走った」とあるのは、車線変更できない愚図な路面電車に花を持たせ、軌道内に立ち入らなかったということ。

 最後に、玉電の廃止後は「バスの増発、路線延長」で利便性を損なわないようにし、「四十八年秋までには新玉川線(地下鉄)として生まれかわる」と締めくくっているが、実際に新玉川線が開業したのは昭和52年のことだった。

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▲「玉川電車沿線案内」。昭和10年ごろの沿線案内図。路面電車が走っていたのは国道246号。国道の上に首都高の建設計画が持ち上がったのも玉電廃止の理由のひとつ。

画像:朝日新聞/昭和44年5月8日

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和乙ニュース