2012年12月11日

昭和の生活(01) 初のオリンピックビジネス(昭和26年)

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 終戦後のどさくさも一段落、ようやく復興の兆しが出始めてきたのが昭和26年。銀座や上野などで活況を呈していた無数の露店も圧倒的なスピードで整理され、3000店ほどに集約されたというから、口だけ震災復興の民主党とは大違い。道路には小型タクシーが目立ちはじめ、ファッションモデルが専業化したのもこのころ。

 翌27年には第15回オリンピックが開催され、日本は戦後初の参加となったのだが、生中継なし、映像なしの時代だから、ほとんどの日本人は無関心。

 それでも「藤倉の運動靴一足お買い上げ毎に」もらえるオリンピックカードのクイズに答えれば、「ヘルシンキオリンピック大会に御招待」が当たるという日本初のオリンピックビジネスが敢行された。

 残念ながらビジネスが成功したかどうかは不明。何名が御招待されたかも不明。
ヘルシンキでは、レスリングのバンタム級で石井庄八が金メダルに輝いた。

引用データ:「藤倉の運動靴で ヘルシンキ オリンピックに御招待!」藤倉の運動靴/藤倉ゴム工業株式会社/『週刊朝日』昭和26年10月28日発行

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2012年12月12日

昭和の生活(02) パタパタに乗って映画館に行こう! (昭和28年)


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 この年の10月に映画『地獄門』(大映/衣笠貞之助監督)が封切り公開。翌29年4月、カンヌ映画祭でグランプリ。翌月には『東京物語』(松竹/小津安二郎監督)など、日本映画の頂点の時期だった。

 一方、洋画では、2月『ライムライト』(米)『落ちた偶像』(英)、9月『禁じられた遊び』(仏) 『終着駅』(米)、10月『シェーン』(米)が封切られるなど、まるで名画座のプログラムのようなラインナップ。

 そのころ巷では、妙な乗り物にまたがったオジさんたちが走り廻っていた。自転車のようで自転車でなく、オートバイのようでオートバイでない・・・要するに、手持ちの自転車に動力エンジンを後付けした乗り物「バイクモーター」だ。

 ペダルをこぐ力を補助し、一定の速度を超えると自力走行となる電動アシスト自転車とは異なり、しょっぱなからエンジンフル回転のイケイケドンドン。白煙モクモク音パタパタの珍走ぶりは、まるで大型オモチャのようで、結構、かわいらしかった。通称「パタパタ」。無試験、許可制だった。

引用データ:「あなたの自転車にトーハツ パピー」東京発動機/『サンデー毎日』昭和28年6月14日発行

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2012年12月13日

昭和の生活(03) 給料の半分でラジオ、2年分でテレビ(昭和28年)

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 NHK東京テレビ局が本放送を開始したのは昭和28年2月1日のこと。1日4時間の放送時間で受信料200円也。天丼100円、中華そば35円の時代だから、かなり高い。

 このころ米国では、黒白テレビジョン受像機2949万5000台が普及。NBCとCBSの2大放送ネットワークのうち、NBCが週3回の天然色テレビの本放送を開始していた。東京銀座で、1台の黒白受像機に数百人の人だかりで街の話題をさらっていた日本が微笑ましい。

 国産テレビ受像機の値段は17吋(インチ)15万円、20吋で18万円。小学校教員の初任給が7800円だったから、庶民には高嶺の花。4950円で手に入る自作ラジオ(組立キット)のほうが現実的だった。

 とはいえ「3日で作れる」というのは、少々、フライング気味の文言。いくら実物大実体配線図が付いてくるにしても、ド素人には半田ゴテの扱いはむずかしい。というわけで町内のオジさんオバさんは、近所のお兄さんに「作ってよ」となることが多かった。ちなみにNHKのラジオ聴取料は1カ月67円也。

引用データ:「ラジオの自作はもう常識です!! 標準型5球スーパー」株式会社 科学教材社/『週刊朝日』昭和28年4月19日発行

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2012年12月14日

【014】昭和の生活(04) 取り締まるより新製品開発!? (昭和28年)

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 ヤミ洋モクの流通が年間10億本。ヤミ洋モクとは、密輸など闇のルートを経由して入ってきた外国製タバコのこと。

 面白くないのは専売公社。洋モク追放を旗印に、米国葉のバージニア種を40パーセント混ぜた「富士」を新規開発。ピース(10本)が40円、朝日(20本)が30円の時代に120円(20本)という超強気の値段だったのだが、発売以来15日間で2800万本がさばけたというから驚き。

 好調な滑り出しのように思えるが、ヤミ洋モクが90円で買えるわけだから、大半は初物食いの珍しがりやのお客だったようだ。

 開発期間9ヵ月、宣伝費100万円を投じた外箱が英国スタイルの「富士」。製造原価は1本1円50銭で、年間売上目標の3億円を売り切ると、小売人に支払う48銭を差引いても12億円の利益が見込めた。

 ちなみにピーク時の市場シェアが5割に達するほどの圧倒的な支持を受けたのは、「新生」(昭和25年発売)と「ハイライト」(昭和35年発売)。いずれも現役タバコで、中でも「新生」は今どきにもかかわらず240円という破格のお値段。葉っぱ+茎=新生・・・だからかもね。

引用データ:「愛煙家に春の贈りもの! 富士」日本専売公社/『週刊朝日』昭和28年4月19日発行

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2012年12月15日

昭和の生活(05) 月賦払いが大人気(昭和27年)

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 昭和26年秋以降、月賦販売が全国的に普及した。その理由は、月賦期間が6ヵ月に延長されたことと、小売店などが月賦組合を組織し始めたことにある。

 しかしながら、当時、出始めのテレビ受像機は17吋(インチ)で15万円だから、6ヵ月払いにしたところで金利を含め月2万円以上。月賦でテレビ受像機を購入できたのは、給料月額11万円の総理大臣か都知事ぐらいのものだった。

 6ヵ月払いを大々的にうたっている広告の空気銃は、現金払いの場合は3割引とある。さすが、預金金利が年7パーセント前後もあった時代の話。ちなみに空気銃は、昭和30年に銃砲刀剣類等所持取締令が改正されるまで持つのは自由、以降は許可制となった。

 近所の文房具屋さんで空気銃の弾を売っていたのを覚えているけれど、のどかだったのか物騒だったのかについては覚えていない。


引用データ:「空気銃の六ヶ月払!!」眞美社銃砲店/『週刊朝日』昭和29年10月24日発行

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