2013年02月22日

ラジオの時代 (01) S盤アワー(昭和27年〜43年)

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 昭和27年(1952年)4月2日、文化放送(JOQR)で始まった本格的な洋楽番組が『S盤アワー』。文化放送が開局したのが直前の3月31日だったから、局も番組も出来たてホヤホヤ。アナウンスの帆足まり子も素人(ビクター・レコード社員)なので、こちらも湯気が立つようなホヤホヤ。

 提供は日本ビクター。番組タイトルの「S盤」は、洋楽ポピュラーに付けるレコード番号を「S−1」から始めたため。原盤契約したのは米国RCA。広告の「エディ・フィッシャー」「エルビス・プレスリー」「スリー・サンズ」のほか、「ペリー・コモ」「「ハリー・ベラフォンテ」「「グレン・ミラー楽団」「ペレス・プラード楽団」などでお馴染み。

 番組は16年も続き、昭和43年に終了。中高年だったら、洋楽に目覚め始める中高校生のとき、理知的で艶のある帆足まり子姉さんの声を聴いたはず。ど〜でもいい話を、ため息まじりに、恥ずかしげもなく、長々とおしゃべりする現代のディスクジョッキー諸君とは大違いの落ち着いた雰囲気だった。ちなみに番組開始のころに生まれた人は、今年あたり60歳の定年退職を迎えることになる。今年50歳の誕生日を迎える人、ちょっとばかり生まれるのが遅かったね。

 オープニングテーマは、帆足まり子さんの「S盤アワー!」というかけ声に続いて『エル・マンボ(別名マンボジャンボ)』(ペレス・プラード楽団)。エンディングテーマは『歌う風』(ラルフ・フラナガン楽団)。43年までは『歌う風』がオープニングテーマだったと云う方もいるが、不明。

 




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2013年02月23日

ラジオの時代 (02) L盤アワー (昭和29年〜43年)


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「S盤アワーが人気らしいね」「はっ社長、わが社もイカシたゴキゲンな番組を考えております」「何だね?」「L盤アワーってのはどうでしょ」「いいね、イカシてるしゴキゲンじゃないか」・・・という会話があったかどうかしりませんが、文化放送の「S盤アワー」に遅れること2年ちょっと、昭和29年(1954年)10月6日からラジオ東京(JOKR)から「L盤アワー」がスタートした。

 提供は日本コロムビア。米国コロンビア・レコード(CBS)と契約し、付けられたレコード番号が「L−1」から始まっていたから「L盤」。LはLimitedの頭文字らしい。ちなみに「S盤」のSはSpecialの頭文字なんだそうだ。

 S盤アワーが始まる以前から、洋楽なら日本コロンムビアと云われ、他の追随を許さないほど協力なラインナップをそろえていた。たとえば「夢路まどかに」(レイ・ノーブル楽団)、「ホワイト・クリスマス」(フランク・シナトラ)、「ベッサメ・ムーチョ」(ザヴィア・クガート楽団)、「ボタンとリボン」(ダイナ・ショア)、「アゲイン」(ドリス・デイ)など。広告にある「メトロトーンズ」「トニイ・ベネット」「レイ・マーチン管弦楽団」も強烈。

 放送開始時間は毎週水曜日の午後10時30分〜11時。「S盤アワー」が同じく水曜日の午後9時30分〜10時だから、後発ゆえの弱みで、あえて全面戦争を避けたのか、あるいは余裕の時間ずらしか分からないが、いずれにしてもリスナーにとっては2度美味しいから万々歳。

 アナウンスは園冷子(のちに大平透)。正調派の、少々、お堅い感じの方。お姉さんというより、おば様といった感じ。オープニングテーマは『恋をして』(パーシー・フェイス楽団)だったが、S盤の『エル・マンボ』(ペレス・プラード楽団)とくらべると、迫力不足。だから記憶に残らなかった。

 だからかもしれないが、『MusicLife』誌(昭和31年10月号号)の「世界が注目しているML誌人気投票 中間成績発表(九月五日現在)」の<愛聽ラジオ番組>では、S盤アワー(248票)が1位に輝いていた。

 以下、2位/ミュージック・レストラン(209票)、3位/トリス・ジャズ・ゲーム(191票)、4位
/ジャズは如何(163票)、5位/チエミと唄えば(152票)、6位/食後の音楽(147票)、7位/イングリッシュ・アワー(138票)、8位/ダンス・アルバム(124票)、9位/素人のど自まん(124票)。10位になってようやくL番アワーが登場。得票数は120票だった。

 番組終了は、奇しくもS盤と同じ昭和43年。こちらは14年続いたことになる。代わって登場したのが「M盤アワー」・・・というのはウソ。洋服のサイズじゃないもんね。

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2013年02月24日

ラジオの時代(03) カムカム・エブリバディ その1(昭和21〜26年)

 終戦から約半年、昭和21年(1946年)2月1日に東京放送局(3月4日からNHKと名称変更)のラジオ番組「英語会話教室」がスタート。月曜〜金曜の午後6時から15分間の短いものだったが、大人気だったらしい。

 20年9月に発売された『英会話の本』が最終的に350万部を売り上げ、戦後初のベストセラーになったことも考えると、焼野が原にバラックの空きっ腹生活だったにもかかわらず、向上心、向学心を忘れない日本人というのは実に立派。

 もっとも、アメリカ人の日常生活を描いた新聞漫画「ブロンディ」が21年から『週刊朝日』で連載されていたから、トースターにミキサー、冷蔵庫に洗濯機といった天国のような家庭生活は、ほとんどの日本人のあこがれの対象となっていて、「これからは英語だべ」「うんだ、うんだ」となったのはうなづける。

 でもね、当時の音源を聴くと、オープニングテーマに使われた「証城寺の狸囃子」の替え歌が人気を博した一番の要因だったのではないかと思われる。誰もが知っている曲で、しかも調子が良く、さらに歌詞がそのまま英会話の練習になっているから愉快なのだ。以下は、替え歌版『証城寺の狸囃子』の歌詞。「英会話教室」ではなく「カムカム英語」と呼ばれるようになったのも理解できる。

Come, come, everybody.
How do you do, and how are you?
Won't you have some candy,
One and two and three, four, five?
Let's all sing a happy song,
Sing tra-la la la la

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2013年02月25日

ラジオの時代(04) カムカム・エブリバディ その2(昭和30年)

 NHKの「カムカム英語」が終了したのは、スタートからちょうど5年目の昭和26年(1951年)2月9日。焼野が原の整地も一段落し、あちらこちらに文化住宅が建ち始めたころだ。

 翌27年には文化放送「S盤アワー」が始まるし、その2年遅れで「L盤アワー」。日本経済は順調に回復しつつあり、ついに31年7月に出された経済白書『日本経済の成長と近代化』の結びに「もはや戦後ではない」と記述されたのは、実質国民総生産(GNP)が前年30年に戦前の水準を超えたからだ。

 とはいっても、あこがれの文化生活はトースターにミキサーまで。冷蔵庫・洗濯機・テレビ受像機の「三種の神器」は高嶺中の高嶺だったから、力道山を見るには街頭テレビか電気店の店先、あるいは、いち早くテレビを買った裕福な家に上がり込むしかなかった。

 そんなころ、アメリカから衝撃的な曲がやってきた。アーサ・キットが歌う「SHO-JO-JI」だ。別名が「The Hungry Raccoon(腹ぺこアライグマ)」だから「証城寺の狸囃子」ではないんだな、と思いきや、メロディは「証城寺の狸囃子」だったのだ。歌詞は以下の通り。

Sho-Sho-Sho-jo-ji, Sho-jo-jis raccoon
He is always hungry So he sings a KOI-KOI-KOI
He will rub his head and tummy Rub it and Rump-ump-ump
MAKERUNA and macaroni Jelly beans and pinks for morning KOI-KOI-KOI KOI-KOI-KOI
All he says is ? KOI-KOI-KOI

 31年2月1日発行の『MusicLife』誌の<今我が国ではどんな歌がヒットしているか>『「ユアー・ヒット・パレード」文化放送午後8時30分〜9時 12月の順位』によると、12月に登場したばかりなのに、いきなり「ショー・ショージ」が1位に登場している。ちなみに2位はビクター・ヤング楽団「エデンの東」だった。


YouTube: 証城寺の狸囃子 * SHO-JO-JI - Eartha Kitt [RCA Victor #47-6245] 1955 * Oriental Pop


YouTube: Uskudara.Giderken.Katibim-Eartha Kitt.wmv


 

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2013年02月28日

ラジオの時代(05) 2・26事件『兵に告ぐ』 (昭和11年)

 昭和11年2月26日早朝、前夜から降り続く30年ぶりの大雪のなか、近衛兵と歩兵の1500名あまりが決起。重臣数名を殺傷し、東京の中枢を占拠した。反乱軍によるクーデターだ。同夜、戒厳令施行。戒厳司令官に任命されたのは東京警備司令官の香椎浩平中将。

 戒厳司令部が設けられたのは九段下の軍人会館(九段会館)。東京放送局(NHK)アナウンサー中村茂は、28〜29日の午後3時まで、不眠不休でマイクの前で原稿を読み続けたのだが、そのなかで放送された『兵に告ぐ』(29日午前8時42分〜)の音声が奇跡的に残っている。

 なぜ奇跡的かというと、当時の放送局には録音装置がなく、ラジオから流れてくる音声を一般人の山下文雄(35歳/三井物産勤務)が録音していたから。もちろんテープレコーダーなどはない時代だから、アルマイト製原盤に刻み込む自己流の録音方式。

『東京日日新聞』(11年3月27日)に、事件1カ月後の山下さんの感想が載っている。

『あの日、余りの感激に、一度ラヂオで聞いてから思ひついてすぐレコードして置かうと決心し、繰返して行はれた放送をそっくりキャッチしたわけです。まあ実験のつもりでしたが、今かけて見てこんなによく入ってゐるとなると、永久に保存しておきませう』

 その報道に驚いた戒厳司令部は、即座に持ち出し禁止処置。録音盤は山下家で厳重保管することになってしまった。で、事件から15年目の26年2月24日、山下さんの弟がNHKに原盤を寄贈。そのおかげで、現在を生きる我々も、当時の生々しい放送音声を聴くことができるのである。山下さん、弟さんエライ!


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