2018年06月11日

昭和乙ニュース(343)蒲田で闇の女狩り 昭和21年

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 二十一日夜、「警視廳」は「蒲田方面」で「“闇の女”の一齊檢擧」を実施。「四十九名」を「檢擧」した。

「闇の女」とは、街頭で客引きをする街娼のことだが、娼婦ではなく「職業婦」が多かったのが特徴。「二十歳以下が十七名」もいて、そのうち「十四歳と十五歳の二人の女學生」だった。

 ※この頃の年齢表記は数え年だったから、今どきの満年齢にすると1〜2歳低い年齢となる。

 なぜ、年端もいかぬ乙女たちが「闇の女」に落ちぶれたのか・・・「警視廳」あるいは記者、いずれの見解かは不明だが、「場所がら都心と違つて数育程度も低く」と切り捨てる。

 都内で実施された「一齊檢擧」は、十二日夜から二十一日夜までの6回に及んだが、「檢擧」された者の総計は「二百五十七名」にものぼった。

「数育程度も低く」と言われた「蒲田方面」だが、9か月後に大森区と蒲田区が合併して大田区が新設(昭和22年3月15日)された。

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▲蒲田區(ピンク部分)。昭和22年3月15日以前につくられた「郡部編入 大東京市區域圖」。

画像:朝日新聞/昭和21年6月23日

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2018年06月09日

昭和乙ニュース(342)消える玉電、最後の晴姿 昭和44年

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 玉電の最終営業日は昭和44年5月10日だが、しばしの間、「花電車」が運行された。「明治四十年から六十二年間利用客に親しまれてきた」玉電の「最後の晴姿」だ。

 廃止となるのは「玉川線(渋谷−二子玉川園)9.1キロ」と「砧線(二子玉川園−砧本村)2.2キロ」。いずれも路面電車だから、「ふえる一方の自動車に追われ」、道を譲ることになったのである。

 クルマが増えただけでは路面電車の運行に支障は出なかったのだが、昭和34年に都の公安委員会が「軌道内へのクルマの乗り入れ」を許可したことが致命的になった。軌道内に入ったクルマが前方をふさぐからだ。

「大橋車庫をスタート」した花電車に、「敬意を表して(自動車は)おとなしくわきを走った」とあるのは、車線変更できない愚図な路面電車に花を持たせ、軌道内に立ち入らなかったということ。

 最後に、玉電の廃止後は「バスの増発、路線延長」で利便性を損なわないようにし、「四十八年秋までには新玉川線(地下鉄)として生まれかわる」と締めくくっているが、実際に新玉川線が開業したのは昭和52年のことだった。

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▲「玉川電車沿線案内」。昭和10年ごろの沿線案内図。路面電車が走っていたのは国道246号。国道の上に首都高の建設計画が持ち上がったのも玉電廃止の理由のひとつ。

画像:朝日新聞/昭和44年5月8日

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2018年06月07日

昭和乙ニュース(341)信州リンゴに大被害 昭和36年

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 長野県を4つに分けると北信、東信、中信、南信。2つに分けると東北信、中南信。記事に登場する「長野県中南信地方」は松本市、諏訪市、大町市、伊那市、飯田市、南木曽町などを含む地域。

 昭和36年6月28日、その「中南信地方」が「梅雨豪雨」に見舞われた。さらに2日後、大鹿村大河原の大西山が大崩落、甚大な被害をもたらした。

 もう雨は勘弁・・・と、誰もがお天道様を恨んでいると、願いが通じたらしく、以降、「ほとんど雨らしい雨」は降らなくなった。

「松本測候所」によると「七月からの降雨量は平年の半分以下」だったらしい。ちなみにこの年の降水量は、豪雨のため6月319.2mmだったものが、7月63.4mm、8月24.5mm。

 干害の状況は尋常でなく、「果樹園や畑はすっかり水気がなく干上がっている」状態。リンゴの場合、「ところによっては九割以上が落果」という惨状だ。

 測候所は「雨は(九月)十日ごろ少しだけ降るかも知れない」という寂しい予報。

 ところが、この記事が掲載された9日後の9月16日、最大瞬間風速84.5メートル以上を記録した「第2室戸台風」が襲来。死者202人、被害家屋98万戸。

 リンゴ農家を中心に2億7000万円にのぼる被害を出した。

 ・・・過ぎたるは及ばざるがごとし。

画像:朝日新聞/昭和36年9月7日

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2018年06月05日

昭和乙ニュース(340)競輪でスって自殺図る 昭和26年

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 妻が臨月をむかえたため、「何とか一もうけしよう」と考えた男(三五)が「朝から競輪」へ出かけた。2年前(昭和24年)に開設された後楽園競輪場だと思われる。

 ところが好事魔多し。「半日で所持金をすっかりスッて」しまったからさあ大変。「妻に会わす顔もない」というわけで、男が選んだのは自殺。死地は人目に付きにくい「港区芝公園一号地」。

 都電2系統に乗って後楽園前から芝公園。30分もあれば到着するが、所持金なしの身の上に乗車券8円也はムリな相談。多少、遠回りをしたって10キロを超えない距離だから、歩いてみよか。

「クレゾール」を飲んで苦しんでいる男を「通行人が発見」したのが「午後四時ごろ」。やっぱり歩いたのだ。幸いなことに、男は「済生会病院」に収容されて「生命は取りとめた」。

「クレゾール」はクレゾール石鹸液のことで、クレゾールを42〜52%含有する消毒薬。経口推定致死量は180〜250ミリリットルだが、飲んだとたんに食道から胃、腸へと焼けただれていくから、ゴクゴクとは飲めぬ。

 愛宕署によると、男が「競輪に出かけて間もなく」、妻は「産気づき長男を産み落とした」らしい。「Xマス・イヴ」なのに、男は「病院のベッド」、妻は「初産の床」で「泣きつゞけていた」という。

 ちなみに後楽園競輪場は、昭和42年に東京都知事に当選した美濃部亮吉により、同47年10月に廃止。跡地に東京ドームがつくられた。

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▲芝公園一号地。※国土地理院空中写真(1945〜1950年)

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▲国土地理院/電子国土基本図(最新地図)

画像:朝日新聞/昭和26年12月25日

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2018年06月03日

昭和乙ニュース(339)生き返った男だけ逃げ帰る 昭和36年

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 天城山の山中で服毒心中を図ったのは「運輸省技術研究所技官」の男(二八)と「同研究所臨時雇」の女(二七)。

 同じ職場に勤める二人は上司部下の関係だったのだが、いつしか「男に妻がある」にもかかわらず男女の仲に。つまり不倫関係。

「男に妻がある」状態でなくなれば不倫ではなくなるのだが、おそらく男が優柔不断だったのだろう。二人の不倫関係はズルズルと続く。

 そんなある日、どちらが言い出したかは分からないが、「二人の仲を清算」することになった。

 昭和36年7月30日、二人は天城山に「自動車でやって来て服毒」。ところが運が良いのか悪いのか、男だけが「三十一日夕方気がつき自宅に帰った」。

 逃げ帰った男は地元警察署(田無署)に届け出。翌一日、田無署から連絡を受けた静岡県大仁署(おおひとしょ)が「山狩り」をした結果、「天城峠の山林で」女の「死体を見つけた」。

 心中未遂だったのか、あるいは心中と見せかけた殺人なのか・・・大仁署の取り調べの結果は不明。

画像:朝日新聞/昭和36年8月2日

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