2018年05月23日

昭和乙ニュース(333)カレッジエース 昭和37年

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 昭和37年10月、「日本で初めての学生用テープレコーダー」として登場した東芝の<カレッジエース>。発売1か月後の新聞広告だ。

<カレッジエース>は「カバンのような小形」で、「5号テープで2時間も勉強」ができ、しかも「テープをかけたままフタができる」というスグレもの・・・今どきの感覚だと笑っちゃうけど。

 お代は「現金定価19,800円 定価21,000円」也。大卒初任給が1万7〜8000円の時代だったから、決して安くはないのだが、生産・販売ともに月1万台を超える大ヒット商品となったらしい。

 名目は「録勉」。それに飽きたら楽器独習、音楽鑑賞など、お楽しみは無限大。翌年(昭和38年)、「昔、ガリ勉。いま、録勉」というキャッチフレーズが誕生した。

画像:朝日新聞夕/昭和37年11月21日

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2018年05月21日

昭和乙ニュース(332)東宝映畫の俳優応募 昭和21年

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「東宝映畫の俳優応募」とは「東宝ニューフェイス」のこと。合格すると東宝に入社。東宝演技研究所の研修を受け、東宝制作の映画に出演することになる。その第一回目(一期)を取り上げたコラム。

 募集に応じたのは「五千」。そのうち書類審査をパスしたのが「二八八名」。「私は馬鹿だつた、ほんとに馬鹿だつた、馬鹿だった」というのが台詞の試験。

 この募集に三船敏郎も応募していたのだが、あまりのふてぶてしい態度にいったんは不合格となったものの、黒澤明や山本嘉次郎などの監督推薦で合格。伊豆肇、堺左千夫、堀雄二、久我美子、若山セツ子などとともに一期生となった。

 のちの三船敏郎夫人となる吉峰幸子も新人合格していた。

画像:朝日新聞/昭和21年6月9日

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2018年05月19日

昭和乙ニュース(331)ニセ千円札 昭和34年

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 東京都内で「十枚」の「ニセ千円札」が見つかった。いずれも「多色印刷」で「巧妙」、番号は同じ「YE六三七六二三C」。

 もっとも多く使われたのはタクシー料金の支払い(7件)。たとえば「日比谷交差点近くから内幸町交点まで三十歳位の男を乗せた」タクシーの場合、男は千円札を出しながら「二十円はチップ」だと言って「九百円のツリ銭を受取り」立ち去ったらしい。不審に思った運転手が翌日銀行で調べてもらってニセ札と判明。

 また「国電大塚駅売店」では、二か所の売店で夕刊一部を買った男が「千円札で支払い、つり銭を持帰った」。いずれも後日、ニセ札と判明。

「捜査三課」によると、犯人は「一人らしく、身長一・六メートル位、白ワイシャツ、白ズボンで会社員風」。ニセ札は「大きさは本物と同じくらいだが、紙質は上質模造紙らしく、やや固く、厚ぼったい手ざわり」。「精密な印刷だが細部では色がボケており、写真製版で作ったもの」と断定。

 昭和34年ごろの大卒初任給は1万1000円前後。当時の千円札は今どきの2万円に近い価値があったから、ニセ札犯にとっては笑いがとまらなかっただろう。結局、この事件は未解決。

 さらに昭和36〜38年にかけ、22都道府県でニセ千円札が343枚見つかったものの、同34年11月4日に発見されて以降、ニセ札は出現していない。これも時効が成立し、捜査打ち切りの迷宮入り。

 なお、メンツをツブされた日本銀行は、昭和34年11月1日に肖像を聖徳太子から伊藤博文に変更した新千円札を発行。以降、物価上昇もあり、ニセ千円札が使われることはなくなった。

画像:朝日新聞夕/昭和34年8月3日

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2018年05月17日

昭和乙ニュース(330)カストリで二名爆死 昭和23年

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 本来「カストリ」は、酒粕を原料に蒸留して製造する「粕とり焼酎」が語源なのだが、まともな原料が払底してしまった終戦直後、粗悪な原料を元に製造された密造酒も「カストリ」と呼ぶようになった。

 記事中、「密造中、パイプがつまり煮えたぎるカマが爆発」とあるから、おそらく原料は変性アルコール(燃料あるいは工業用)だったと思われる。非課税で公示価格が適用されないため安価だった。
 ※変性アルコールは、エタノールにメタノールを加えたもの。メタノールには失明や中毒死の危険が伴う。

 密造の方法は、変性アルコールを加熱・蒸留するだけ。エタノールとメタノールは沸点が異なるから、加熱して危険なメタノールを分離してしまえば安全なエタノールだけになる・・・というわけだが、そう簡単にいかないところがシャクのタネ。

 分離不完全で中毒事故が多発したし、記事にあるように製造中の事故も多かったようだ。

画像:朝日新聞/昭和23年8月14日

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2018年05月15日

昭和乙ニュース(329)メヌマ プロ ポマード 昭和29年

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「メヌマポマード」の製造販売が始まったのは大正6年。当時、舶来のポマードは高級品だったので、安価な国産品の登場に若者は拍手喝采。販売直後から大盛況となった。

 ねっちょりベタベタの舶来品が鉱物性調髪油を使っていたの対し、「ヌメマ」は純植物性調髪油だったから「床しいしつとりとした艶 気持ちのよいノビとサラッと爽やかな洗い落ち」が特徴。

 開発したのは埼玉県大里郡妻沼町(めぬままち)出身の井田友平。17歳で上京、石鹸雑貨行商の見習い奉公ののち、明治43年に石鹸雑貨卸商「井田京栄堂」を設立した男だ。

 一時は国内シェア75%を占めた人気商品になり、戦後は社名を「株式会社メヌマ」に改称。海外にも進出したが、残念ながら現在は製造販売はしていない。

 ※埼玉県大里郡妻沼町は合併により埼玉県熊谷市となった(平成17年)。

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▲旧妻沼町で初の名誉町民になった井田友平。ご本人はポマードが必要ない頭髪模様だったようだ。

画像:朝日新聞/昭和29年12月29日

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